「あ...きやまさ...」

覆いかぶさるようして倒れこんできた秋山を直は呆然と見つめていた。
彼の背に刺さるナイフが鈍く光って直の恐怖心を煽る。
目の前で行ったあまりの凶事に直はたじろいでいた。
喉がカラカラに乾いて、仕方がない。
秋山を呼ぼうにも掠れた声は空気の中に霧散していく。
彼の背からどくどくと流れる赫い血だけが色をなす世界に直は取り残された。
そんな衝撃の強さに我を失っていた直を現実へ引き戻したのは谷村の声だった。
「お嬢ちゃん、しっかりしないか!!」
「...え。」
怒号にも似た叫びに揺り動かされて直ははっと身じろいだ。
ようやく焦点のあった瞳が谷村を見つめる。
彼は武見の身体を取り押さえながら、直に叱咤するような目線を投げかけた。
「目が覚めたか、お嬢ちゃん?ボサッとしている場合じゃないぞ。
取り合えずナイフは抜かないで、秋山をうつ伏せに寝かせろ。
そしてすぐにエリーを呼んでくるんだ!!」
「谷村さん、」
おずおずとしている直を奮い立たせようと谷村はもう一度強い声で叫んだ。
「早くいけ!!」
「はいっ」
谷村の剣幕に押されて、直は言われたとおり秋山をうつ伏せの姿勢にして寝かせた。
軽く動かしただけで、意識を失っている秋山の表情が苦悶に歪む。
直は心がはり裂けそうになるのを堪えて、立ち上がった。
自分が秋山の為に出来ることは一つだけしかない。
溢れる涙を押さえながら、直はエリーがいる部屋へと走った。
秋山を救う、ただそれだけの為に、
直は全速力で走っていた。



「エリーさん!!」

慟哭を抑えて部屋へと駆け込んだ直の目に映ったのは、
見知らぬ男がエリーのこめかみへと拳銃を突きつけている姿だった。
男は直を認めると、にやりと嘲るような笑みを口元へ浮かべた。
「はじめまして、神崎直さん」
長めの髪ををなびかせながら男はじとりと直を観察するように見つめた。
無遠慮な視線に思わず身が竦みそうになる。
男の中に宿る邪悪の影を直は敏感に感じ取っていた。
「神崎様、私に構わずあなたは秋山様を連れてお逃げください!!」
男に拘束され、銃を突きつけられた状態でエリーは叫んだ。
そんな彼女を男はためらいもせず銃のグリップで殴り倒した。
頬を紅潮させ、快楽を昂ぶらせた微笑を浮かべながら
男はエリーを人形のように床へと沈めた。
「エリーさんっ!!」
「か...んざき...さま、三島は危険な男です。はやく逃げなさい」
渾身の力で直へ警告を告げるエリーを男、三島駿は前足で軽やかに蹴り上げた。
「やめて!!」
直の叫びも虚しく、三島は残酷に何度も何度も鋭い蹴りをエリーへと食らわせていた。
「うざいよ、長谷川衣里。少し黙っててくれないかなぁ」
血を吐きながら2.3度転がったエリーには目もくれず、
三島はくすくすと笑いながら直のおとがいへと手を伸ばした。
抗えない強い力で上を向かせられた直は三島の邪眼に捉えられた。
秋山を想って泣き腫らした直の赤い瞳。
まるで子兎のようなそれが三島の嗜虐芯を見事に刺激していた。
「そんなに怯えないでよ、僕は三島駿。このゲームの主催者で
君の大切な秋山とは幼馴染といったところかな?」
「幼馴染?あなたと秋山さんが?」
「そう。まっ、秋山は覚えていないかもしれないけど」
勘にさわるようなくすくす笑いを止めない三島を直は強い瞳で睨んだ。
床へと横たわるエリーへ依然として拳銃を向けたままの三島は
直の軽蔑を込めた眼差しなどものともせずに話を続けた。
「ねぇ神崎さん、僕は秋山を憎んでるんだ。ずっとずっと昔からね。
だから復讐をしたくてさ、こんなゲームを仕組んでみたんだ」
三島は恍惚の表情を浮かべながら、苦闘する秋山の姿を夢想していた。
冷徹無比だった彼が誰かを思い、苦しむ様ほど、悦楽を感じるものはなかった。
ぞくぞくと血が逆流するほどの昂ぶりに興奮を覚えた。
でもまだまだ足りない。
神崎直を逆手にとれば、秋山はもっともっと快楽を充たしてくれる行動に出るはずだ。
残酷な策をめぐらせとする三島に向かって直は清廉な思いを紡ぎだした。
「復讐って、もう充分じゃないですか!!秋山さんは酷い怪我を負っています。
早く手当てしないと死んでしまうかもしれません!!
私にはこんなところであなたと話している暇はないんです、早く秋山さんを助けないと!!」
「秋山、秋山、秋山!!君って子は馬鹿のひとつ覚えみたいで、ホント勘に触る女だな!」
いきなりの三島の激昂に直はびくんと身を硬直させた。
得体のしれない感情の波が直を襲う。
三島は暗い眼で直を一瞥すると、蔑むように低く笑った。
「それなら君がその身をもって秋山を助けてみてはどうだい??」
くくと喉の奥で笑った三島がぱちんと指を鳴らすとモニターに電源が戻った。
唐突にそこに映し出されたのは、秋山の背に刺さるナイフに手をかけた成宮の姿だった。
「秋山さん!!!」
「僕が指示をだせば秋山の背に更にふかーくナイフが刺さって奴は死ぬよ」
三島は背後からそっと彼女の両肩を抱き、耳元に囁くように脅しをかけた。
迫る脅威に身を硬直させた直は大きな瞳を見開いたまま画面の向こうの秋山を見つめていた。
「秋山さん...」
苦しそうな表情は相変わらずで、心なしか先程より顔色が蒼白に見えた。
きっと失血によるものなのだろう。
早く、手当てしなければ三島の言うとおり秋山は死んでしまう。
そんなことには絶対にさせない。
直の持つ気丈なまでの強さが心を奮い立たせていた。
三島が何を要求してくるのか分からない。
けれど、自分が動くことで秋山が救えるのならそれでいい。
そんな壮絶なまでの決意に燃えながら、直は三島を清廉な瞳で見返した。
「秋山さんにこれ以上酷いことをするのをやめてください。
その為だったら私、あなたの言うことに従います」
「神崎様!...いけません!!」
苦痛の中、必死で止めようとするエリーへ向かって直は慈愛に満ちた微笑を向けた。
何かを思い立ったそんなすがしい表情を浮かべた彼女はエリーの傍らへとしゃがみこんだ。
「エリーさん、こんな目に合わせてごめんなさい。秋山さんを頼みます」
「神崎様...駄目です。三島は、あなたに何をするのか分かりません、ですから!」
「私、秋山さんを助けたいです。今まで秋山さんがいつも私を助けてくれていたように
今度は私は秋山さんを守る番なんですよ、エリーさん」
エリーの口から流れる血を指先でそっと拭い取った直はすくっと立ち上がり、三島へと対峙した。
直の気強い眼差しから決意を感じ取った三島は、彼女へ向かって手を差し伸べた。
「では、参りましょうか?お姫様」
空々しい三島の言葉に頷き、直は差し出された手を静かに取った。
これからどういう運命が待ち受けているのか。
秋山への思いだけを糧にして、真っ直ぐに進む直の前には暗雲が立ち込めてはじめていた。





「......つぅ」

背中が、身体が焼けるように熱いと感じた。
瞼はとても重たく感じて開くことなど出来そうになかった。
覚醒しきらない朦朧とした意識の淵の中、
無意識のうちに身体を起こそうとするが瞬間的に訪れる激痛に秋山は顔を顰めた。

「あうっ、 はぁ。。はぁ はぁ…はぁ……」

荒い呼吸と共に喘ぐように引き攣れた声が秋山の口から洩れる。
そんな彼の様子に気づいたエリーは囁くように優しく声をかけた。

「秋山様、もう少しお休みください。あなたには休息が必要です」

妙に遠くの方で聞こえるエリーの声に促されるように秋山の意識は飛んだ。
また深い暗闇へと落ちていきそうになる。
そんな時浮かび上がってきたのは彼女の姿。
秋山は目の前で微笑む直の幻影に向かって手を伸ばした。

「直…、」

小さく呟かれた言葉にエリーの顔が暗く沈んだ。
直は彼を守る為に三島の甘言にのり、連れ去られてしまった。
ただ秋山を救いたいという一心だけで、直は自分の身を危険に晒したのだ。
この事実を目を覚ました秋山が知った時、どう思うのだろうか?
そして彼女が三島に奪取されるのを
結果的に黙って見過ごしてしまった自分はどう責めを負えばいいのだろう?
苦悩がエリーの心を支配する。
彼女もまた三島によって手酷い傷を負わされていたが
直の思いを守る為に取るものも取らずに秋山の治療に全力を注いでいた。
全身打撲の状態で動き続けたのと、背中へと負わされた傷の所為で
衰弱しきった秋山の状態は本当に危ういものであった。
もう少し、診るのが遅れたら命を落としていたかもしれない。
長谷川の屋敷へと秋山を運んでから5日がたとうとしているが、
未だ目を覚まさない秋山は時折発作のように激痛に身を捩じらせることがあった。
その時必ず紡がれるのは彼女の名前...。
リフレインされる切ない声にエリーは苦い表情を浮かべながら溜息をついた。

「おい、」
静寂を破る低い声にエリーはゆっくりと振り返る。
直の行方を探っていた谷村がぽりぽりと頭を掻きながら部屋へと入ってきた。
いまではすっかり味方となっていた彼はベッドへうつ伏せに横たわったままの秋山へと視線を傾けた。
「秋山、まだダメか?」
「ええ、良くはないわ。それより神崎様が連れていかれた場所に目星はついた?」
「いーや。からきしダメだ。あの人はヨコヤさんより周到だからな〜」
やれやれと肩を竦める谷村の目にも落胆の色が浮かんでいた。
自分のような末端の人間には探れることにも限度がある。
エリーの力をもってしても三島の所有する屋敷やマンションなどを
割り出すことしか出来ない程に三島駿という人物は謎めいていた。
分かっているのは彼が新進気鋭のIT企業家という表の顔を持つということ。
莫大な金をばら撒いてライアーゲーム事務局に
「主催者」としての権利を認めさせたということぐらいだけだった。
「お嬢ちゃん、大丈夫かな...。あの子泣き虫だからな〜心配だよ」
「谷村、その話は外でしましょう。」
こんな状態の秋山にはとても聞かせられる話ではなかった。
今までのことから、このことを知った秋山が起こすであろう行動が予測できたからだ。
エリーは深く息を吐くと、谷村を伴い別室へ辞去しようとした。
その瞬間、低く掠れた声が二人を押し留めた。

「待...て...」

視線を移すと両腕をついて起き上がろうとしている秋山の姿が目に飛び込んできた。
エリーはそんな彼を制止するためにベットサイドへと駆け寄った。
「秋山様、まだ起きてはいけません。」
「今のはなんの話だ?谷村...教えてく...れよ」
射抜くような秋山の眼差しが谷村へと向けられた。
鬼気迫る様子に背筋がぞくりと凍る。
秋山の毒気にあてられた谷村はぶんぶんを頭を振って否を告げるだけが精一杯だった。
秋山は軽く舌打すると、今度は揺らめく焔を孕んだ眼差しをエリーへと傾けた。
「何故、彼女はここにいない?連れ去られたとはどういうことだ?」
直がこの場にいない疑問を投げかけた秋山は慟哭に身を震わせていた。
武見の放った刃からは守りきった自信があった。
不覚にも意識を失ってしまったその後に一体何が起こったというのだろう。
苦しげな息遣いの中、秋山の気強い眼差しは真っ直ぐにエリーへと注がれる。
彼女は今まで見たことのないような切なげな表情で秋山を見つめながら、
今の彼にとっては最も残酷であろう言葉を絞りだした。
「神崎様は、あなたを守る為に自らの身を三島へと差し出しました」
「な...に?」
「倒れたあなたを人質とされた神崎様はなんの躊躇いもなく甘言を紡ぐ三島の元へとくだりました。
あなたの、命を護るために......」
「馬鹿な、なんだってあいつ」
苦々しい思いが秋山の心を交錯する。
自分の身を顧みもせずに人を助けようとする彼女の純粋無垢さに今は腹がたった。
直がいなければ、命を永らえてもなんの意味もなさないということにどうして気がついてくれないのか。
苦悩を飲み込むように秋山は唇をぎゅっと噛み締める。
運命に弄ばれるように、引き離されてしまった彼女のことを憂いながら秋山はそっと立ち上がった。
「秋山様、いけません!その身体で動いては、」
「助けにいかないといけないだろう?」
冷静な声色がどこか震えるように聞こえるのは気のせいではないだろう。
秋山の心の動揺は彼女の為に必死に動き出そうとする様子から見て取れた。
エリーは無茶を繰り返そうとする秋山を止めるために彼の前へと立ちはだかった。
「いけません。これであなたが命を落すことになっては神崎様のお心に反する結果になってしまいます。」
「なら、なんでお前らは彼女をとめてくれなかったんだ?」
責めるような強さはなく、あくまでも静かに告げられた言葉にエリーは竦んだ。
「すまない……、あんたを責める気はない。悪いのは全部俺なんだから」
秋山は自嘲的に笑うとそのまま彼女の脇をするりと通りぬけた。
囚われた直を救いだすということに終始している彼をエリーも、谷村もとめることが出来なかった。
それほどまでに深い秋山の思いに気圧された二人は彼の行動を黙って見つめるしかなかった。
「秋山様...。」
「うっ、」
歩みを進めようとした瞬間、秋山は強烈な眩暈に襲われて重心を失った。
グラリと地面が揺れたような感覚に足元をとられた秋山の身体は制御がままならなくなった。
視界がだんだんと暗く落ちていく。
そのままふらりと大きく彼の身体は傾いで、ゆっくりと崩れ落ちた。
床へと倒れる寸でのところで谷村に抱きとめられる。
浅い呼吸を繰り返しながら苦しげに眉根を寄せた秋山は
ぐるぐると逆巻く意識の波に耐えることが出来なくなっていた。

「直・・・」

幻影を前に秋山はぽつんと彼女の名を呟いた。
薄らぐ意識の中で見えたのは直の綺麗な笑顔だった。
心が安らぐ唯一の存在。
けれど、今は傍にいない。
もう離れないと約束した愛しい者の面影を胸に抱きながら秋山は再び意識を手放した。




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2007.8.11るきあ

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