『temperature』


嫌がらせのように毎日かかってくる彼女の電話がぴたりと止まる時は要注意だと秋山は思った。
以前も同じようなことがあった時、直はまんまと谷村の口車に乗せられて
ライアーゲーム敗者復活戦に参戦していた。
そんなことはもう無いとは思いたいのだが、彼女の場合はとかく安心ができない。
少し目を離した隙に必ずなんかしらのトラブルに巻き込まれている。
秋山は落とし穴に本当に落ちる人間をリアルに見たのは初めてだった。
それだけではない。
「ばか正直」な彼女ならではの仰天エピソードは数限りなく秋山の目の前で起こっていた。

「ったく…」

どうして自分はそんな彼女をほっておくことが出来ないのか。
秋山はひとりごちた後、足早に直のアパートへと向かった。





「あきやまさん」
「お前、どうした?その姿。。。、」

秋山の目線の先には額に冷えピタを貼り、マスクをつけ、
何故か首にタオルをまいた完全病人武装の直の姿があった。
珍妙さが否めない彼女の姿に思わず吹き出しそうになるのを秋山は懸命に堪えた。
「秋山さん今、笑いましたね」
「……まぁな」
「ごほっ、ひどっ、ごほっごほっっ咳、とまらなくて…ごほっごほ、くるしいのに〜」
「悪い、でもお前のその姿…」
「だから、咳が ごほん、ごほっごほっ」
「とりあえず、状況は分かったからいれてくれ」
「はい…」

秋山に促されて部屋の中へと案内する直の足取りはふらふらとしていておぼついていなかった。
何もないところでも転べる才能の持ち主である彼女を思うとこれは相当危なっかしい。
秋山はさりげなく直を支えるように後ろからその両肩を掴んだ。
「秋山さん?」
「転びそうで見てて怖い。俺のことは構わなくていいからとにかく寝ろ」
「はい…」
熱が相当高いのだろう、涙目の直は小さく頷くと秋山に言われるがままにベットへと直行した。
彼女の脇に腰をかけた秋山は熱をはかりとろうと額へ手をあてる。
瞬間、びくっと直の身体がたわみ、驚いたような瞳が秋山を見つめた。
「なに?その反応」
「だって照れますよ〜ごほっごほっ」
言いながらまた咳き込む直の額を秋山は軽く指先で小突いた。
「いたっ!デコピンですか??酷いです。」
泣き真似をするように言う直を秋山のシニカルな笑みが捉えた。
「ああ、あんまり聞き分けないからな」
「病人なのに〜」
「病人だったら素直に熱くらいはからせろ」
呆れたように言いながら秋山はもう一度直の額へと手をのばした。
今度は直も静かにそれを受け入れる。
秋山の端整な顔立ちが間近に迫って胸の鼓動が高まるのを直は感じていた。
「熱いな、病院はいったのか?」
「いいえ、なんかだるくて動くのも億劫になっちゃて」
「食事はちゃんとしてる?」
「実は、昨日から…なんにも食べてないです。食欲なくて…。」
いとも簡単に言う彼女の姿に秋山は頭を抱えた。
人のことにはいつも一生懸命なのに、自分のことには何故こんなに無頓着なのか。
それが神崎直の気質であるということはよく分かっている。
しかし肝心なときに一人で抱え込む悪癖はそろそろ直してほしいと思う。
こんな時だからこそ傍にいてやりたいと願うのに
芯の強い彼女は一人で乗り切ろうと連絡すらよこさない始末だった。
「…ったく、そんなに辛いんだったらちゃんと連絡してこいよ」
少しだけ怒ったような口調の秋山を直はすまなそうに見つめた。
「ごめんなさい、私…秋山さんに迷惑かけたくなくて」
「それでこんなになってたら意味ないだろう?」
「ごめんなさい…」
しゅんとして俯いてしまった直を前に秋山は大きな溜息をついた。
色々な感情が席巻していくのを感じながら、秋山は萎縮する直の頭を軽く撫でてやった。
「もういいよ。お前はこのまま寝てな。起きたらなんか作ってやるから…」
「はい…、秋山さん、って…ごほっ、あのごほっごほっ冷蔵庫ごほほっ、なんにもないんです」
「喋らなくていいよ。まずは買い物からだな?何か食べたいものがあったら書いてくれ」
秋山は激しい咳を交えながら話そうとする直を制止して代わりにメモ用紙とペンを差し出した。
「しばらくお前は筆談な…咳は体力を奪うんだからおとなしくしてろ。分かったら頷いて?」
秋山の言葉に直はこくんと頷いて見せた。
素直な彼女の様子に秋山は満足そうな笑みを浮かべた。
「じゃあ、ここに欲しいものがあったら書いて…」
秋山にそう促されて、直は思いつくままにペンを走らせていた。



「う...ん」
 
ぱちんと睫が音をたてて直は目を覚ました。
咳と高熱に苛まれて中々眠りに付くことができなかったことが嘘のように
直は秋山がきてくれた安心感に充たされて深く眠ることができた。
おかげで少し頭がすっきりしたような気がする。
直はそろりと身を起こすと夕焼けが映える部屋の中をゆっくりと見渡した。

「秋山さん...?ごほっごほっごほ...」

睡眠をとったおかげで倦怠感は少し和らいだものの咳の方はまだまだ治らないようだった。
直は胸をさすりながら、薄明かりの灯っているキッチンへと足を向けた。
「あ・・・きやまさん?います??ごほっごほん」
「ああ、起きた?よく眠ってたから起こさなかったけどキッチン借りてるぞ」
「はい。」
先程彼に言われたように話すのを極力押さえるように短く返事を返す。
本当は「秋山さんのおかげで眠れたんです」ということを伝えたかったが
話すたびに付きまとってくる激しい咳と一抹の照れ臭さとがその言葉を飲み込ませた。
そんな直を秋山は蠱惑的な目で覗き込んでくる。
切れ長の瞳を優しく緩ませて秋山は直の頬を両の手で包みこんだ。

「なんで寂しそうな顔してんの?俺がいるの嫌か?」
「ちっ、違いますよ!!!来てくれてほんとに嬉しいですってば」
「お前、そんな大声...咳とまんなくなるぞ」
「あ...。」

秋山に指摘されてすぐに、胸に吹き溜まる熱が一気に喉元へと駆け上がってきた。
瞬間、大きな発作が直を襲う。
身体を折り曲げて咳き込む直を秋山は抱きかかえて
落ち着かせるようにゆっくりと上下に背中を撫ぜはじめた。

「大丈夫だ。このままゆっくり呼吸を整えろ」
「......はい」

耳に届く秋山の声が心を落ち着かせてくれる。
直は彼の手に身を委ねながらそっと目を閉じた。
いつまでもいつまでも秋山の体温を感じていたい。
そんな風に願いながら直は秋山の腕の中で甘えるようにその身を摺り寄せていた。

「秋山さん、」
「ん?」
「今日は傍にいてください」
「ああ・・・」

ぶっきらぼうに答えながらも秋山は直を抱く腕に力を込めていた。
それが答えだと確信した直の顔に自然と笑みが零れる。
秋山の不器用な優しさは直を心ごと包み込んでいた。




そんな...お互いの「体温」を感じる幸福。




END→temperature+
2007.8,4るきあ


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