「俺はお前が隠したいと思っている事実を掴んでいるからな」


武見へと向かって放たれる秋山の語気は自然と上がっていた。
直を辱め、病床にある彼女の父親さえも
自分の欲望の為に利用しようとするこの男に遠慮など無用だと秋山は思った。
どんな手を使ってでも勝ち抜ければよいという、ある意味無法なルールを逆手にとることなど
謀略に機知を発揮することの出来る秋山にはお手の物だった。

「俺がお前のことも潰そうとしてたのは知ってたよな?武見」
言いながら秋山は再びナイフの柄へと手をかけ、ぐいと強い力で押した。
「あああ、痛いっ、いたーーーーいっ!!」
ナイフによってテーブルに縫いとめられたままの武見は悲惨な叫び声を上げながら秋山を睨んだ。
蟇蛙のような武見の風体に秋山は残酷な笑みを漏らしていた。
「痛いか?へぇ〜お前みたいな奴でも痛覚はあるんだ…。」
蔑むように秋山に見下ろされた武見の脳天は破裂寸前だった。
更に顔を赤くして身体をぶるぶると震わせながら彼は秋山へと向かって吠えた。
「うううううるさい!!もう怒った!!直ちゃんのお父さんに酷いことしてやる!!見てろっ」
武見は自分に刺さっていたナイフを無理矢理引き抜いた。
激痛に苛まれながらも、武見は無事な手を使って胸ポケットから携帯を取り出した。
「借りはきっちり返すよ、秋山」
形勢を逆転させなければ気がすまなかった。秋山の狼藉で負った傷の礼はきっちりしてやる。
武見の邪悪な心の中は秋山への憎悪でいっぱいになっていた。
幸い、ボタンを押せば病院へ侵入している部下に命令が届き、
直の父に引導を渡せる手筈が整っている。
壮絶な表情を晒した武見の手がボタンへと伸びた瞬間、
待ち構えていたかのように秋山の手がひょいとそれを奪いとった。
「あっ、秋山、返せ!!!!」
「馬鹿か、お前。」
秋山は携帯を弄びながら、テーブルへと腰をかけて武見の顔を覗いた。
「切り札をそんなに簡単に使うな。」
「くぅう〜!!!!!」
「いい加減諦めろ。お前はここで負けるんだ」
「うるさい!うるさい!!うるさーーい!!僕から携帯を取り上げたって
1時間連絡が途切れれば自動的に直ちゃんのパパは
お陀仏になるように指示してあるんだよーだ!残念でした」
秋山の余裕な態度に憤慨した武見はまるで子供のようにぺろりと舌をだし、挑発を続けた。
「さぁ、どうするんだよ秋山。お前の行動次第では直ちゃんのパパは死んじゃうよ?」
「……、」
「なんとか言ったらどう?泣いて謝って5億返したら勘弁してあげるけど〜」
「ほんと、馬鹿だなお前」
勢いこむ武見に向かって嘲笑を浮かべた秋山は右耳につけていたピアスを外し、掌へとのせた。
「とりあえず結論から言うけど、彼女の父親から手をひけ…武見」
「なんで!?なんでそんなことしなくちゃいけない訳??意味わかんなーい」
からかう様な口調の武見を前に秋山はピアスの細工に仕込んでいた
小さなマイクロチップを取り出した。
「なんだよ、それは?」
「この中にはお前が人身売買をしかけた取引先の相手、全てが記憶されてる。
それだけじゃないぞ、他にも表にでたらまずい帳簿だとか、
金をトンネルさせるルートだとか、お前の裏事業に関する記録が全部詰まってる。
これ公開したらかなりまずいことになると思うけど、それでもいいか、武見?」
秋山は面白そうに武見の眼前にマイクロチップをちらつかせていた。
武見の無骨な手がそれを奪おうと躍起になるものの、秋山がそれを赦すはずがなかった。
「そう簡単には渡せないなぁ、武見…俺の方はこれをすぐにでも公表できるけどどうする?
あの病院からお前の部下を下がらせるか、それともこれを世間にぶちまけるか…
仕方がないから選ばせてやるよ」
秋山は武見を冷酷な眼差しで見下ろしていた。
彼の中に堆積されていた非情さが目の前の男に向かって鋭い牙を剥いていた。
直を苦しめるものは誰でも容赦はしない。
そんな強い思いに突き動かされて秋山は武見を前に勝負にでていた。
「くそーーくそーーお前ずるいぞ!秋山!!そんなもの隠しもってるんなんて卑怯だぁあ!」
おかどちがいの非難をぶつける武見を一瞥した秋山は思わず肩を竦めていた。
「卑怯?これはライアーゲームだろ、隠し事や秘め事をどれだけ旨く使うかは自分次第だ。
俺に何も用意がないと思って慢心して手の内を明かしたのはお前のミスだろ?」
秋山は喉の奥で掠れた笑い声を漏らした。
そして武見にとっては最後通牒となるような言葉を冷酷に言い放った。
「彼女の父親から手をひけ、武見」
「うーーーー」
「ふぅん。じゃあ俺が覚えてるこの資料、上から読んでみるか?
実に興味深い連中の名前がたくさん出てきて中々面白いけどな」
脅しの言葉を効果的に使いながら秋山はちらりと武見を仰ぎ見た。
射抜くような目線に秋山の本気を感じて武見は観念して白旗をあげた。
「あーーー待て待て!分かったよ、もう。すぐに部下を引かせるよぉ!!」
慌てた武美はこくこくと大袈裟に頷いて見せた。
秋山によってマイクロフィルム化されている資料を表沙汰にされて困るのは武見だけではなかった。
彼の顧客である政財界の重鎮にまでその類が及んでしまう。
3年前に煮え湯を飲まされた秋山を好きにいたぶってよいと唆されてゲームに参戦しただけの武見にとって
順調に展開している「裏」事業を秤にかけることなど出来る筈はなかった。
そんな武見の心理を読んだ秋山の恫喝は見事に功を奏していた。
「じゃあ、カメラを回しながら病院をご退出頂く様に指示してもらおうか?」
「はーーー?なんだそれ??お前がマイクロチップ渡さない限り嫌だよーだ!」
「武見!」
この期に及んで抗おうとする武見に対して秋山の鋭い声が突き刺さった。
先程までとはうってかわった憎悪をこめた眼差しが武見を睨みつける。
秋山は殺気を揺らめかせながら武見へとにじり寄っていた。
「お前に選択権はない」
「あっ、秋山。。。」
「四の五のいわずにさっさとやれ!」
「ひぃいい」
有無を言わせない秋山の迫力に気圧された武見は奇妙な声をあげてちぢみあがった。
秋山は彼の携帯電話を取り出し、赤くマークされているボタンを押した。
「出ろ」
ぶっきらぼうにそう言い放ち、秋山は武見へと携帯電話を手渡した。
不満気に口を尖らせながらも武見は秋山の言うとおりの指示を部下へと下した。
「これでいいんだろ!!」
「病院をちゃんと出るまでは、これは渡さない」
「けっ!!」
拗ねた様にぷいと横をむいた武見を尻目に
秋山は病院から送られてくる映像を鋭い目線で見つめていた。
武見の手のものがきちんと直の父から遠ざかるのを見届けるまでは安心は出来なかった。
相手は3年前自分の猛追を逃れ、今も尚弱い人間を傀儡として生きている下劣な輩だ。
得体の知れない不気味さを持つ武見に秋山は最大限の警戒をはらっていた。



「秋山さん…」

直は画面を食い入るように見つめていた。
秋山は父を救うために、何年も費やして収集したであろう貴重な記録を手放そうとしていた。
武見を摘発するために使われるべき資料を交換条件として使用する秋山の姿に直は心を痛めていた。
「秋山さん、ごめんなさい」
ぽつりと呟いた直は画面から目をそらすように俯いてしまった。
彼の重荷にはなりたくないと思うのに、
いつも何かしらの迷惑をかけてしまう自分が情けなく思えてしまう。
今にも泣き出しそうな顔をしている直を隣でゲームの様子を見守っていたエリーが優しく覗いた。
「神崎様、謝る必要はないと思います。あなたは秋山様の負担などではないのですから」
「え…?」
まるで自分の心を見透すようなエリーの言葉に留めていた直の感情が一騎に溢れ出た。
「でもあれを渡してしまったら秋山さんの今までの苦労が台無しになってしまいます。
私なんかの為に、秋山さんが大切なものを失うことになるなんて、そんなこと!」
「私なんか…などと、そんな言葉を聞かれたら秋山様に叱られますよ。」
いつもの彼女のミステリアスな印象とは程遠い、親しみのある微笑みが直を包んだ。
「秋山様はあなたの幸福を望んでいます、いつ何時でも…だからそんな風に思うのはおよしなさい」
「エリーさん、」
「秋山様の想いに応じられたのであれば後は信じてさしあげることです。
策もないままにあのような行動に出る方でないことは神崎様の方がよくご存知の筈です」
「あ…」
余りにも的を得たエリーの発言に直はただ頷くしかなかった。
彼女の言うとおり、秋山の明晰な頭脳と観察眼は他に追随を許さない優れたものだった。
その彼が簡単に貴重な証拠を手放し、手の内を晒すような行動を取るのはきっと何か意味があるに違いない。
今まで秋山はどんなに形勢不利な状況でもそれをことごとく覆し、ゲームで勝利を収めてきた。
今度もきっと大丈夫。
直の中に秋山の勝利に対する強い確信が生まれていた。

「そうでしたよね、私は秋山さんを信じます。」
「ええ、それがきっと秋山様に力を与えることでしょう」
「そうだったらすごく嬉しいんですけど、エリーさん本当にありがとうございます」
直は自分を気遣ってくれたエリーに深々と頭を下げた。
ここに来てから彼女が自分達にしてくれたことを考えると
頭ひとつ下げたぐらいでは足りないとさえ直は思った。
エリーの言葉が直に勇気を与えてくれた。
父を「人質」のように扱われたことで意気消沈していた心に活力が蘇った。
秋山は「待っていろ」と言った。ならばそれを信じようと直は思った。
心の芯に強さを宿す直は気丈な眼差しをモニターに映る秋山へと向ける。
もう、これ以上彼を傷つけるようなことが起こらない様にと祈りながら、直は秋山の姿を見守っていた。


「まぁ、もういいか…。」
武見が病院へと忍び込ませた賊は車に乗り、そこからどんどん遠ざかっていく。
カメラによってリアルに届けられた映像によってそれを確認した秋山はふいと武見の姿を仰ぎ見た。
膨れきった顔が余りにもおぞましく映り、秋山は嫌悪の表情を浮かべた。
「とりあえず、これはお前にやるよ」
秋山はマイクロフィルムをはらりと手から零した。
ひらひらと床に落ちていくフィルムを必死な形相の武見が奪い取る。
やっと手にした自らの悪事の証拠を手に武見は胸を撫で下ろした。
これさえ手に入ればもう怖いものはない。
また秋山を相手に面白いゲームが続けられる。
手持ちの5億が奪われなければ秋山が大切に思っている「神崎直」は自分達のモノになる。
秋山への恨みつらみを山のように抱える武見は彼を屈服させることが美徳とさえ思えるようになっていた。
蛞蝓のようなしぶとさで武見は先程までの情けない様子を一変させ、秋山に対して恫喝を始めた。
「これでお前の切り札もなくなったね〜秋山」
得意げにマイクロフィルムを翳す武見の姿を秋山は興味がないというようにちらりと見た。
まるで子供が宝でももらったかのような武見の態度に秋山は辟易としていた。
この男にはどうやら早急に引導を渡す必要がありそうだ。
秋山は鼻の先で軽んじたような笑いを漏らすと、今度は左耳のピアスを外して武見へとちらつかせた。
「これも見てみるか、武見」
「なっ、なに!?」
先程ピアスから致命傷になりうるものが出てきたことに武見は慄いていた。
また同じ轍を踏むのではないかという疑心に自然と表情は硬くなる。
心理戦に長けている秋山は武見を追い込むために
わざと先程と同じような演出をして彼に自分の有利を見せつけようとしていた。
「何度も悪いんだけどさ、武見。これ5億で買ってくれないか?」
にやりと蔑むように笑いながら秋山はピアスの細工から小指の爪ほどのチップを取り出していた。
疑惑の眼で武見はじとりと秋山を睨む。
秋山ごときに気取られるような事はないはずだと武見は思った。
自分の性癖によって引き起こされたあの「事件」も、
金と権力によって丸め込んだ重鎮共のお陰で隠蔽はきちんと行なわれているはずだった。
故に秋山があの事実にたどり着くことは絶対にありえない。
はったりをきかせた秋山に対して武見は激しい憤懣を覚えていた。
「ばっかじゃないの?5億なんかで買う価値がどこにあるんだよ?中身がなんだか分からないものにさ!」
開き直ったように叫ぶ武見に対して秋山は冷静な態度を崩さなかった。
彼は自分達の姿を撮っている備え付けのビデオカメラを真っ直ぐに見つめながら言った。

「直、」

「え??」

秋山がいきなり自分の名を呼んだ。
ふっと表情を緩めた彼はそのまま優しげに言葉を紡いだ。

「お前はこの先を見るな。俺はこんなものをお前に見せたくない…」

記録媒体であるこのチップの中に収められた映像はあまりにもおぞましいものだった。
その内容を知る秋山は直にだけはこれを見せたくなかった
秋山の呼びかけに身を乗り出すようにして画面を見つめていた直へと向かって
彼はもう一度、諭すように言葉を搾り出していた。

「頼むから…目を反らしておいてくれ」


懇願するような秋山の言葉が直の耳に響いて離れなかった。
直は彼に従い、そのままくるりと画面から背をむけた。
直を信じる秋山は武見の真実を白日の下へと晒すため、チップへと手を伸ばしていた。
その行為が更なる悲劇の幕開けになるとは露とも知らずに、
ゲームに勝利するための手段として映像の再生をはじめようとしていた。




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2007.8.3.るきあ

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