私は彼を深く愛している。彼と一緒ならどんな死にも耐えられる。
しかし、一緒でなければたとえ生きていても生きていることにはならない。
ミルトン「失楽園」より




『俺はどんなことをしてもこのゲームに勝つ。そしてお前を自由にしてやるよ』

直の頭の中で先程の秋山の言葉が巡っていた。
『どんなことをしても…。』
その言葉に込められた秋山の決意を感じ取って直は顔を曇らせた。
この人は自分を救うためならば命さえも投げ出してしまうのではないだろうか?
言い知れぬ不安感に直の心は締め付けられた。
獣めいた野生の激しさを露にする秋山は常の彼とは違っていた。
生半可に触れたら火傷をしてしまいそうな心の熱を放ちながら
秋山は直を守るように男の前に立っていた。
「俺への恨みをはらしたいんだろう?だったら早くゲームをはじめろ」
威嚇するように言う秋山に対して男は冷えた眼差しで返した。
ぴたりと寄り添うようにして立つ二人の姿が「主」にはどう映っているのだろうか。
情愛に突き動かされて罠へとはまった秋山の姿に満足を感じているだろうか?
主に対して忠実な彼は面白い見世物を演出してこそ、自分の存在があるということを心得ていた。
かの人の望みを確実にかなえるための駒としてここにいる自分に出来ることは
秋山を更なる奈落へと貶めることだった。
「では神崎さんをお返し頂きましょうか。正式に自分にものになってから愛でなさい、秋山様」
「下衆だな…、」
冷ややかな口調で言う秋山を男は勝ち誇ったように見下ろしていた。
勝ち目の薄い戦いにその身一つで挑もうとする彼を愚かだと思っていた。
何の取柄もない、ただ泣くことしか出来ない女の為に
自らを破滅の道へと追い込む秋山の心情は男には理解しがたいものだった。
「なんとでもお言いください。さぁ神崎さん先程の場所へ戻りましょう」
「いっ、いや」
「あなたには逆らう権利などありません」
残酷を含んだ調べが二人の耳元に届いた。
質感を持たない男の瞳に見つめられて直の動きが止まった。
「秋山さん、私」
「大丈夫だ。」
震える彼女の手を秋山はしっかりと握った。
これ以上、直を酷い目にあわせはしない。
本当であれば普通の世界で幸せに笑っていられるはずだった直を
こんな争いに巻き込んだのは全て自分の責任だ。
必ず、彼女を…神崎直を助けてみせる。
その為には自分が盾となり、剣となることが必要だ。
もてる限りの知略を尽くしてこのゲームに勝利を収めてやる。
秋山の心にはそんな強い決意が渦巻いていた。
「俺がゲームを始めれば彼女がどこにいようと問題はないだろう?」
凄むように言い放って、秋山は男の目の奥を覗き込んだ。
硝子のような青い瞳は人形のそれを彷彿とさせる。
感情の読めない冷徹な表情は崩れることもなく、秋山達を見つめていた。
「神崎直さんがあなたの傍にいることはゲームの公平さを欠くことになります、秋山様」
「公平ね…このゲームにそんなもの存在したか?」
「ええ、賞品については常に公平に順当に分配されるように気をつけています」
あくまでも直をモノ扱いする男に秋山は舌を打った。何もかもが勘に触る。
公平が聞いて呆れるくらいな仕打ちを受けてきた秋山は思わず肩を竦めた。
凍りつくような緊張が漂う最中、直の手は自然と秋山の背中へと縋りついていた。
彼にばかり頼ってはいけないと思いながらも
気が遠くなりそうなほどに張り詰めている心が秋山の存在に自然と助けを求めていた。

「二人とも、そろそろおやめになってはどうですか?」

そんな鋭い空気が軋む中、涼やかな声音が響き渡った。
秋山の治療の為に足りなくなった薬を取りに辞去していたはずのエリーが戻ってきた。
怜悧な中に光る知性をたなびかせながら、彼女は二人の間へと割って入った。
「なんで、お前がここにいる?」
突然のエリーの出現に秋山は面食らった。
彼女はその問いには答えず秋山の後ろに隠れるように立っている直へと視線を注いだ。
「秋山様、神崎様が怯えています。よいのですか?」
「えっ…」
エリーに指摘されて振り返ると、弱々しい笑顔で自分を見つめる直と目があった。
激しい感情の鬩ぎ合いに影響を受けてしまったらしい彼女の顔色は真っ青で
自分につかまっていなければ倒れてしまいそうな程に震えていた。
「ごめん…大丈夫じゃ、ないよな?」
戸惑いながら言う秋山の問いに直は首を横に振った。
「秋山さん、私のことならもういいですから。だから無理をしないでください。
私は、秋山さんの身体の方が気になります。また倒れてしまうんじゃないかって、
さっきからそれが不安なんです。少しだけでいいですから自分の身体のことを考えてください」
懇願するように告げたあと、直はふいと秋山から視線を逸らした。
目の前で彼が倒れたときのことを思い出して胸が苦しくなった。
強い精神だけを原動力として自分の為に戦おうとする秋山の姿を見ているのが辛かった。
思わす俯いてしまった直に対して秋山は微かな笑みを零した。
「人のことばっかりだな、お前…」
自嘲的に呟いた秋山はそのまま直の頬へと手を伸ばした。
いつのまにか流れていた彼女の涙を優しい指先で拭ってやる。
秋山の切れ長の瞳がゆっくりと直の瞳を覗き込んだ。
「もう、泣くな…」
彼女の涙を両の掌で拭ってやったあと、秋山は身体ごと包み込むように直を抱きしめた。
大きな胸に耳をあてると規則正しい彼の心臓の音が響いてくる。
安心感が急速に自分の心を満たしていくのを直は感じていた。
このまま離れないでいてほしい。
強い、強い願いを胸に刻んで直は秋山の胸に抱かれていた。




「懲りない方々ですね…」
抱きあう二人を前に憤慨する男をみてエリーはくすりと笑った。
誇りの高さなど微塵も感じさせない彼の雇い主とこの男は同類だと思った。
私怨の為にゲームを愚かな方向へと導こうとする者たちをエリーは憐れむように見つめた。
「あなたこそ懲りないようですね、成宮。」
「エリー、余計な口出しは無用です。あなたは彼の治療の為に来ただけでしょう?」
心外とでも言うように成宮は長めの前髪の奥から皮肉を孕んだ瞳を覗かせた。
彼女はそれをいなすように軽やかな微笑を彼へと傾けた。
「三島様とあなたがゲームを私的に利用するのを黙ってみていろ?と」
「主のことは言うな!」
「三島」という名をエリーが口にした途端、成宮は激昂した。
冷静な仮面は剥ぎ落ち、激しい感情を露にした瞳がエリーを睨み付ける。
彼女はあくまでも平静にそれを受け止めていた。
「失礼。三島様のことはあなたとの会話を成立させるには禁忌でしたね。
でははっきりと言いましょう、事務局に報告されたくなければ秋山様の主張をのみなさい」
「なに……?」
「父がゲームから撤退したとはいえ、私が事務局員であることはなんら変わっていません。
私がこの4回戦の不当性を訴えればすべてを無に帰すことなど簡単に出来るということです」
丁寧な言葉に織り交ぜられる脅迫。
王手を握るエリーに成宮は完敗といった風情で溜息をついた。
「無理矢理に此処へ来たと思ったらそういう思惑があったという訳ですか」
「ゲーム中は私が神崎様のお傍にいます。それでよいでしょう?」
エリーの余裕の表情に成宮は心の中で毒づいていた。
ライアーゲーム事務局内においてこの女の権勢は自分より上だった。
高い立場にいる彼女が乗り出してきたとなるとこの条件は飲まざるを得ない。
口惜しい思いをおし隠しながら成宮は無理に笑顔を作って見せた。
「仕方…ないですね」
搾り出すように告げた成宮をエリーは軽く一瞥した。
力で押さえつけることは余り好まないのだがこの際仕方が無い。
最初にルールを著しく害したのは三島達の方だった。
「秋山様の治療はまだ終わっていません。もう少しだけ時間をください」
「分かりました。」
苦い表情を浮かべながらも成宮はエリーへ向かって一礼をした。
いつかこの借りは必ず返してやる。
そんな邪念を込めながら成宮は踵を返し、部屋から出て行った。





「お前、どういうつもりでこんな、」
「とりあえず治療をすませてしまいましょう、お話はその後で。」
秋山の言葉を遮り、エリーは彼を椅子に座るように促した。
訝しげに彼女を見つめながら秋山は渋々とそれに従う。
直はエリーがあの場を諌めてくれたことに安堵の溜息を漏らしていた。
「エリーさんが戻ってくれてよかったです。
秋山さん喧嘩モード強!って感じで私じゃあ止められませんでしたから」
直の言葉に秋山の体からいきなり緊張感が削げ落ちた。
どこにいても「神崎直」は健在らしい。
彼女の芯の強さを見せ付けられたようで秋山は思わず苦笑を浮かべた。
「喧嘩モードって…お前、誰の為だよ」
「あ。。。。、」
「別にいいけどね」
さらりと言う秋山にいつもの表情が戻っていた。それが何故か嬉しくて直は顔を綻ばせた。
彼と共にいれることが直の源となって心を幸福で充たしてくれる。
だから、少しでもいいから秋山の力になりたい。
そんな真摯な願いを込めながら直は秋山を見つめていた。

「エリーさん、秋山さんを見てあげてください。お願いします」
「かしこまりました」

遠慮がちに後ろに控えていたエリーが秋山の前へと歩みを進めた。
そして医師としての目線が秋山を捉える。
エリーは彼の左腕に残る傷痕を見逃さなかった。
「秋山様、点滴を無理に引き抜きましたね…」
「ああ、邪魔だったからな」
エリーの手が秋山の腕へと伸び、傷が露とされた瞬間、直は息をのんだ。
点滴が施されていた場所は腫れあがり、赤黒く変色していた。
成宮から自分を庇うために、無理に針を引き抜いた代償が彼に酷い傷を残していた。
「秋山さん。。。これさっき…」
目を覆いたくなるような傷痕を見せられて直の瞳がみるみるうちに潤んだ。
また泣かせてしまいそうな状況に秋山の心に痛みが走った。
身体の痛みよりも彼女が泣くほうが余程痛い。
いつのまに、彼女はこんなにも自分にとっての泣き所となってしまったんだろう。
もはや否定できない思いを堪えながら、秋山は直の頭を軽く撫ぜた。
「俺は大丈夫だから…、もう泣くな」
「はい…」
なだめる様にそう言われ、直は小さく頷いた。
秋山は安心したように一つ息を吐くと、エリーへ自らの腕を差し出した。
「とりあえずこれをなんとかしろ。そうしたら俺はゲームをはじめる、やられっぱなしは性に合わないからな」
「分かりました。神崎様少しお手を借りてもよろしいですか?」
「はい、エリーさん」
「ではこれで秋山様の腕の消毒をお願いいたします」
エリーから消毒液がしみこんだガーゼを手渡された直はその異臭に顔を顰めた。
いつもなら気にもかけない香りだというのに今日はなんだか妙に鼻腔へと残る。
急に気分が悪くなり、直は口元を押さえてその場に立ち尽くした。
「どうした?」
「いえ、」
彼女の様子を不審に思った秋山が声をかける。
心配をかけたくなくて、笑顔をみせようとするのだがそれもままならなくなった。
景色がだんだんと滲んで見える。
「あ…れ?」
目をこすってもこすっても霞んでいく視界に直は首を傾げた。
急に重たくなった身体がいうことをきかない。
瞬間、がくりと膝から力が抜けた。
「直!!」
秋山の目の前で直の体が大きく傾いだ。
バランスを失い、床へと落ちかかる寸前のところで秋山が直の身体を受け止めていた。
「大丈夫か?」
「あ…きやま…さ…」
彼の気配を感じて直は一生懸命名を呼ぼうと試みた。
だが声は掠れて虚しく空気の中へ霧散していく。
真っ暗な視界の中で秋山の存在だけを求めて直の手が空を舞った。
「俺はここだ。」
彼女の思いを悟り秋山がその手を取った時、
とても安らいだ表情を浮かべた直はゆっくりとその瞳を閉じた。


ー天使の休息は不意に訪れるー


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次こそは本当に4回戦突入。ほんとにひっぱりまくりでごめんなさい(汗
2007.7.22るきあ


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