「秋山さん!!しっかりしてください、秋山さん!!」

秋山の体がゆっくりと傾いたかと思うと、彼はそのままずり落ちるように床へと崩れた。
何度か身体を揺さぶってみたが、秋山の青白い瞼は閉じられたままで動く気配がなかった。

「熱、あるんだ。どうしよう...」

触れている手から感じる熱さは尋常ではなくて、直は思わず眉を顰めた。
全身打撲と擦過傷の所為の高熱が秋山の体を苛んでいた。
早く医者に見せなければ、彼の命は奪われてしまう。
そんな焦燥感にかられた直は助けを求めて力の限り叫んだ。

「誰か助けてください!!!秋山さんがっ、秋山さんが大変なんです!!誰かっ!!!」
「...そんなにでっかい声ださなくても聞こえてるよ、お嬢ちゃん」

ギィとドアの開く音が聞こえたかと思うと、
直を此処まで連れてきた谷村がひょっこりと顔をだした。
嘲るような笑みを浮かべた彼は、床に倒れたままの秋山の前まで歩いてきた。
「へぇ、秋山でもこんな風になるのか?また演技じゃないのか〜」
「秋山さんに触らないで!!」
谷村の様子に危険を感じた直は威嚇の言葉を彼へと投げつけた。
そんなことにはもろともしない谷村は面白そうに秋山を上から見下ろしていた。
「本当に気を失ってるか確かめてあげようか、お嬢ちゃん?」
そう言い放ち、にやりと口元をひきゆがめた彼は爪先で秋山の体を数回蹴った。
ごろりと嫌な音が響き、彼の体が仰向けへと転がる。
瞬間、目に飛び込んできたのは苦しそうに喘ぐ秋山の顔だった。
「やめなさい!!」
激しい怒りの焔を灯した瞳を携えて、直は激昂した。
これ以上、秋山を苦しめることは許さない。
そんな気丈な思いが直の全身から輝きとして放たれた。

「なに!?」

谷村は思わず2,3度瞼をしばたかせた。
目の錯覚なのだろうか。谷村は直の背に大きく広がる白い翼を見たような気がした。
綺麗な羽根を羽ばたかせ、秋山を守るように立ちはだかった直は気高い瞳で直は谷村を見据えた。
「これ以上、秋山さんを酷い目にあわせないでください」
「お前…」
「お願いします、」
「分かったよ、」
直の瞳に気圧された谷村はばつが悪そうにすごすごと後ずさった。
いつもは気弱い彼女のどこにこんな力が隠されていたというのだろう?
直の清廉な魂に完全に圧倒された谷村は仕方なく秋山の体をそっと抱き起こした。
「ちゃんと運ぶから安心しろ」
「はいっ」
嬉しそうな彼女の笑顔に谷村の胸中は複雑だった。
先ほどまで怒りの矛先にあった人間に対して何故、そんなに無防備に微笑むことが出来るのか?
散々辛酸をなめ尽くした男には彼女の無垢さは理解しがたいものだった。

「そんな風だからこんな目にあうんだ」
「え?」
「少しは人を疑え…。でないと苦しむのはあんたの方だぞ」
「でも、だますよりだまされる方が私はいいです。」
「は?」
「だまされているほうが気が楽なんです。人を傷つけないですみますから」

真顔で即答されて谷村は言葉を失った。
人を傷つけることを厭わない人間の多い世の中で彼女のような存在は愚かだと思っていた。
けれど神崎直の言うことに抗えない何かを感じることもまた谷村の中の真実だった。
憮然としたまま直を見つめる谷村に背後から声が響いた。

「神崎様、谷村...お久しぶりです」
「あんたは!!」

目の前にいきなり現れた彼女の怜悧な佇まいは相変わらずだった。
3回戦までのゲーム主催者の娘にして事務局員だったエリーがそこに立っていた。
唖然を通り越して呆然とした谷村はぽかんと口を開けたまま彼女を凝視した。
「何しに来た?あんた達の勢力は3回戦以降ライアーゲームから手を引いたんだろ?」
訝しげに言う谷村にエリーは冷静な口調で返した。
「このゲームの公平さを審議するため…と言いたいけれど、私は医師としてここへ呼ばれました」
「医師!?あんたが!?」
「ええ、そうです。秋山様を治療するために…」
言いながらエリーはちらりと谷村に支えられている秋山を仰ぎ見た。
項垂れたまままったく動く気配がない彼の様子は思った以上に深刻を極めそうであった。
「谷村、秋山様をあちらの部屋へ運んでください。」
「お前にはもう俺を使う権限はないと思うけどな」
つっかかるように言う谷村にエリーは牽制するような眼差しを投げかけた。
「私はお願いしているつもりなんですが?」
「お願い、ねぇ」
谷村は仕方がないというように肩を竦めて見せた。
そして秋山を背負い、言われたとおりに彼を隣の部屋まで運びはじめた。
「エリーさん、秋山さんをお願いします」
「神崎様、秋山様のことはあなたが見守ってあげてください。彼はあなたのものなのだから」
「えっ、エリーさん!?」
いきなりの言葉に直は動揺を隠すことが出来なかった。
そういえば敗者復活戦のときにも「秋山様は神崎様の私物」と彼女に言い切られて
とても恥ずかしい思いをしたことがあった。
その再来のような発言に直は頬を赤く染めた。そんな彼女の様子を見てエリーはくすりと笑った。
「変わりませんね、神崎様。だからお助けしたくなるのかもしれません」
言いながらエリーは一つの鍵を取りだした。檻にかかっている錠前へとそれをいれて右へと回す。
するとガチャという音が響いて頑丈だった鉄格子が簡単に開いた。
「エリーさん」
「心が共にあるものは離れてはいけないと私は思います。一緒にきて治療を手伝ってください」
「はい!!」
力を込めて返事を返し、直はエリーの後へと続き秋山の元へと向かった。






「これでいいでしょう」

エリーは治療を終えると、熱を下げるための点滴を秋山へと施していた。
その傍らで直はそっと彼の額へと手を伸ばす。
じんわりとした秋山の熱が伝わって心が痛んだ。
秋山は何故こんなにまでなって自分を助けにきてくれたのだろう?
涙が滲むのをなんとか堪えて直は気丈に振舞った。
「熱、凄く高いですね…」
「ええ、それが少し心配です。思ったよりも秋山様の怪我は酷いものでした。
これでよくここまで動けていたものだと感心致します」

秋山の直への思いの深さは彼の限界を超えさせた。
傷つくことも倒れることも厭わず、秋山は直を救うための戦いに身を投じようとした。
無理・無茶・無謀という全ての言葉が当てはまるような行動は常の彼からは想像できなかった。
直という存在を逆手にとられた秋山の焦燥感がエリーには手に取るように分かった。

『あまりにも純粋な秋山の心がいつか彼を追い込むことがあるだろう…
その時はお前が助けてやりなさい…二人を…。」

ハセガワ…、ライアーゲームの前主催者だった父の最期の言葉だった。
神崎直と秋山深一によって魂が救済された父は幸福に充たされて逝った。
その父が危惧した厄災が二人に向かって降りかかろうとしている。
そんな彼等に対してゲームから手を引いた自分にできるのは
秋山の身体を回復させて、彼が智謀をふるえるような状態まで戻してやることぐらいだけだった。

「神崎様、冷水とタオルを用意しておきましたのでお使いください」
「ありがとうございます」

エリーには直に向かって一礼するとそのまま寝室を出て行った。
少しの間だけでも二人だけの時間を持てるように配慮して静かに扉を閉める。
訪れた静寂の中、直は秋山の寝顔をそっと見つめた。

「秋山さん、」

ようやく会えたというのに秋山の状態は本当に酷いものだった。
彼は苦しげに顔を歪めて時折小さな呻声をあげた。
顔色は酷く悪くて脂汗がきめの細かい白い肌から滴り落ちていた。
直は少しでも秋山が受ける負担を軽くしてあげたくて、額の上に冷水で冷やしたタオルをおいてやった。
その時、きつく閉じられていた筈の秋山の瞼が微かに動いた。
直は手を止めて彼を見つめる。

「秋山さん、気がつきましたか?」

秋山は瞼をしばたかせたあと、けだるそうにその瞳を開いた。
彼は自分が何処にいるのか分からないといった風に しばらく虚ろな視線を天井へと向けていた。

「大丈夫ですか?」
「・・・・・・・・・・・・」

まるで霞にでも包まれたかのようなはっきりとしない意識の世界に自分はいた。
体が熱くてだるい。呼吸がしずらくてとても苦しかった。

「秋山さん、しっかりして!!」

直の声が耳元に届いた。
そんな彼女の声に促されて秋山の意識は急速に覚醒を始めた。
秋山はゆっくりと声の方へと視線を傾けた。おぼろげに映る視界の中に誰かの姿が浮かぶ。
「・・・お前、」
秋山の記憶に深く刻まれた神崎直の姿がそこにあった。
大きな瞳を心配そうに緩ませて、直は自分へとすがり付いてきた。
「秋山さん、大丈夫ですか?あの時突然倒れてしまったから、凄く、凄く心配しました」
「ああ、悪い…」
「本当に心配したんですからね!」

言いながらまた涙が瞼から溢れていた。
自分はどれだけ泣けば気が済むんだろう。
何度秋山に泣き顔を見られてしまうのだろう。
情けない気持ちに支配された直はふいと彼から視線をそらした。
そんな彼女の所作に秋山は不思議そうに首を傾げた。

「なんで、顔そらす?」
「……、だって私…また、泣いてます。秋山さんは泣くの好きじゃありませんでしたよね?
だから私…、秋山さんに泣き顔を見られたくないんです」

俯きながら呟くように言う直の姿に秋山は愛しさが募った。
どこにいても変わらない真っ直ぐな思いは沈んだ心に光明を与えてくれる。
彼女に触れたい
自分の為に泣いてくれた彼女の心を慈しみたい。
秋山の中に深く、強く確立していた直への恋情が彼を突き動かしていた。

「ちゃんと無事な顔…見せてくれ」
「秋山さん、」

秋山は負傷している肩を庇いながらゆっくりと起き上がった。
そして直の頬へと手を伸ばす。
大きな暖かい手に包まれて、直は幸福感に充たされた。

「秋山さん、安静にしていないと、ダメです」
「だまれ」

今更ながらの言葉を放つ直を黙らせて、
秋山は直の背中へと手を回し、包み込むように抱きしめた。
まるで引力にでも導かれたように二つの影が重なる。
直もまた縋りついてきた秋山を受け入れ、その広い胸の中に顔を埋める。
彼女の温もりが暖かくて秋山は目を細めた。
ずっとずっと望んでいた直の存在が今、秋山の腕の中にあった。
どんなに否定して避けようとしても拭えなかった直への想い…。
秋山はそんな感情を昇華させるように直を強く、強く抱きしめていた。


「こんなところで何をしているのですか、神崎直さん。」

不意に二人の背後から感情を押し殺した無機質な声が響いた。
顔を上げてみると秋山を病院から此処へと導いた事務局員の男が立っていた。
不遜な眼差しで見つめられて、直の中に恐怖心が蘇ってくる。
彼女は秋山の胸にしがみ付いて頭を埋めた。
秋山もまた直を守るように彼女を抱く腕に力を込める。
そんな二人の様子を男は面白そうに眺めていた。

「賞品である彼女に手をだされては困ります、秋山様」
「そんな風に言うのはやめてもらおうか…」
「彼女を欲しければゲームに勝てと、そう伝えたはずです」

あくまでも冷徹さを崩さない男はベッドサイドまで歩み寄ると
秋山の腕の中にいる直を強い力で無理矢理引き剥がした。

「きゃっ!!」

突然、腕をねじ伏せられた直の身体はベッドから転落した。
強い力で床へと打ちつけられた彼女は沈んだまま動かなくなった。
その様子を残酷に見下ろしていた男は乱暴に彼女の腕を掴みあげた。

「あなたの負債のおかげでこんな目にあわされた方と睦言ですか、神崎直さん。
もう少しお立場を自重して頂きましょうか。」

くくと喉の奥の方で鳴らされた笑い声が勘に触った。
ベッドへと繋ぎとめられている秋山の眼前で男は直が羽織っていた紅いストールを剥いだ。
「いやっ!!」
両肩を抱いて崩れる彼女の前で男はストールをズタズタに引き裂いた。
狂気を孕んだ瞳を前に直は震えて動けなくなった。
そんな哀れな子羊を血祭りにあげるように、男は更なる残酷な言葉を紡ぎだした。

「秋山様が勝利しなければあなたの運命はこれと同じものになります」
「いっ、いや!」
男の毒気にあてられて腰が立たなくなった直は手だけを使って後ずさりしようとした。
そんな彼女の前に男はあっさりとしゃがみこみ、妖気を放つ眼差しを直へと向けた。
「そうならないように秋山様にお願いしたらどうですか?私を助けて…と」
「やめろ!!」
秋山の我慢も限界に達した。
彼は自分を繋いでいた点滴を思いっきりの力で引き抜いた。
鈍い痛みが走ったがそんなことに構ってなどいられない。
秋山はベッドからでると腰を抜かしてしまっている直を救い出し自分の背の後ろへと隠した。
「秋山さん、」
「俺を…信じられるか?」
肩越しに振り返る秋山の強い視線に射抜かれそうになった。
勢いで頷いた直に向かっていつもの秋山の不敵な笑みが注がれた。

「俺はどんなことをしてもこのゲームに勝つ。そしてお前を自由にしてやるよ」
「秋山さん、」
「だから待ってろ。」

秋山はそう言って直の手を強く握りこんだ。
不安な思いなど二度とさせない。
どれだけ自分がこのゲームで傷つこうとも、たとえ命を落そうとも…、
絶対に彼女だけは守ってみせる。
そんな壮絶な決意を胸に秋山はゲームの渦中へと飛び込んでいこうとしていた。


運命は残酷な調べを鳴らし始める。



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なんか長くね?これ…終われない雰囲気が(汗 どうしよう〜
2007.7.19るきあ

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