怪物と戦う者は、
その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

ニーチェ






「どういうことだ?」

檻へと入れられている直の表情は今にも泣き出しそうに見えた。
きっと不安に押しつぶされそうになっているに違いない。
直の心情を画面から読み取った秋山の心は大きくかき乱された。
彼女をこれ以上危険な目にあわせないために自分はゲームへの参戦を決めたというのに
彼等は直のことを自分を苦境へ落す手段として使ってきた。
非道な行為はお手のものとはいえ、今回の事務局のやり方を秋山は許すことが出来なかった。
画面に映し出される直の姿を食い入るように見つめながら秋山はぎりと唇を噛み締めた。


神崎直を担ぎ出せば秋山は動く。

そう読んだ「主」の目論見どおりに事は運んでいるようだった。
明らかに動揺の色が隠せなくなっている秋山を運転席の男は嘲るように眺めていた。
先ほどまであれほど冷静だった秋山がたかが女一人の為にその心を震わせている。
これ以上面白い見世物は中々お目にかかれないだろうと男は思った。
この先秋山が見せ付けられることになるゲームの内容を知ったら彼はどうなるのだろうか?
残酷ともいえる未来を予想しながら、男はひとりほくそ笑んでいた。


『いや、よらないで!!!』

直がいきなり怯えたような声を上げて檻の端へと逃げた。
瞬間、洋室の明かりが灯される。
画面には直の他に3人の気色ばんだ様子の男達が映し出された。
秋山の見ている前で直にとっては最大の危機が訪れようとしていた、





「中々の上玉だねぇ、写真で見るよりずっといいや…ねぇ兄さん?」
「ああ、そうだね。この間の子はすぐにダメになったけど…この子はどうかな」
「まぁまぁ二人とも、まだ買えるって決まった訳じゃないんだからさ」

くすくすと笑いあう男達を直は訝しげに見つめていた。
病院から半ば拉致されるように此処へとつれてこられた。
負債は己の身体で支払え…そんな風に谷村から言い捨てられて直は檻の中へと囚われた。
これがどんな風に秋山に迷惑をかけることになるのだろうか?
それを思うと直の心は張り裂けそうな程に痛んだ。
重傷をおしてまでゲームに参加しようとする彼へこれ以上の迷惑はかけたくなかった。
涙が零れ落ちそうになるのを懸命に堪えながら、直は目の前の現実に立ち向かおうとした。
「怯えちゃってかわいーー♪」
明らかに常軌を逸しているような男達の視線に直は身を固くした。
どうやら兄弟らしい3人は全員が豊満な肉体を持っていて、脂ぎった肌が爬虫類を彷彿とさせた。
それぞれがねっとりとした眼差しで舐めまわすように直を見る。
あまりにも無遠慮な視線に直は切れて男達を睨み付けた。
「なんで、そんな目で私を見るんですか!?」
「なんで、そんな目で私を見るんですかーーーーー!!だって。あはははは」
直の声色を真似した男がおかしそうに兄弟達と顔を見合わせる。
暫く笑い声が響いた後、兄さんと呼ばれていた男が直の方へとにじり寄り、檻へと無理やり手をいれてきた。
「つーかまえーた!」
「いやっ、離して!!」
「味見させてもらうよ?」
直の手を強引につかんだ男はぺろりと掌を舐めた。ざらりとした舌の感触に直は全身総毛だった。
「いやぁ!!!」
半泣きになりながらなんとか男の手から逃れた直はぺたんと床へ崩れ落ちる。
その様子を見ていた兄弟達は大声をあげて笑った。
「ウブだね〜いいよいいよその反応!!兄さんお味はどうだった?」
「良かったよ!!この子なら10億払っても惜しくはないね!早く好きにしたいよー」
テンション高く言う男の値踏みするような目に耐えることができなくなった
直の頬から涙がとめどもなく零れ落ちた。
そんな彼女に最後通牒を突きつけるように男達は
にやりとした笑みを浮かべながら代わる代わる言った。

「君の負債は僕達が払ってあげるね。僕たちとってもお金持ちだからさー。」
「そうそう、その代わり君は僕達が好きにしていいんだよー」
「たとえ死んでも文句が言えない。ぷぷぷ君の前の子は死んじゃったー」

恐ろしい言葉を投げつけられて直は耳を手で塞いで目を閉じた。
精神的に追い込まれた直の脳裏に浮かんだのは、
いつも自分を支えてくれていた秋山の顔だった。

『また負けてないてんのか?』

「秋山さん」

迷惑なそぶりを見せながらも自分の窮地には必ず助けに現れた秋山の顔を直は思い出していた。
けれど、彼は此処には来ない。
絶望感が直の心を劈いてずたずたに切り裂いた。
「秋山さん、助けてください!!秋山さん」





「やめろっ!!」

直の悲痛な叫びと共に、画面が切り替わった。
今はまたネメシスが映し出される画面に向かって秋山は慟哭の全てを叩き付けた。
ビシ、という音と共に画面が割れ白い硝煙が立ち上る。
今まで感じたことのない深い、深い怒りの感情が秋山を支配していた。
悪鬼の表情を浮かべた彼は自由になる左手を運転席の男の首へと伸ばし締め上げる。
男は咄嗟にブレーキを踏み、車を急停車させた。
揺れる車内でバランスを失っても秋山の手は男の首から離れなかった。
「なに…をするんですか…」
苦痛に顔を歪ませる男の顔を秋山の冷えた眼差しが捉えた。
怒りに我を忘れるのではなく、怒りにより冴えた感情が秋山の中に呼び起こされていた。
「殺されたくなければ俺を神崎直のところへ連れて行け」
「そんなことを…しても…無駄です」
「なにがだ?」
秋山は男を運転席から引き剥がし自分の方を向かせた。
不屈の笑みを浮かべた男は苦しい息遣いの中、
胸のポケットからある一枚の書類を取り出してみせた。
「我々の手にこの公的文書がある限り、彼女は自由にはなれません」
「なんだと?」
「これは神崎直さんがご友人の負債10億を肩代わりすると署名捺印した書類です。
しかし弁済能力のない彼女に代わって我々が負債のすべてを返済させて頂きました。
敏い貴方ならお分かりでしょう?秋山様。彼女は我々に借りがあるということです」
無垢な彼女の性質を把握した汚いやり方だった。
秋山のきつい視線をもろともせず男はそのまま事務的に言葉を続けた。
「このままでは彼女はあの3人のものとされます。だからあなたは彼女を救出してください。」
「それが4回戦の内容ということか?」
「そうです。これから48時間以内に彼女を救うのに必要な10億円を彼等から奪ってください。」
「彼等?」
「先ほどのお三方ですよ。あの方々があなたの対戦相手です、秋山様。
この救出ゲームではお金を奪う手段は特に定められていません。何をしても、どんな手段を用いても結構です。
例えばあなたお得意の詐欺行為でも、もしくは殺人を犯してでも
最終的に彼等から10億円を奪えればあなたの勝利です。
その時にはこの書類とゲームの賞品である神崎直さんを速やかにあなたにお渡しします」
「彼女をモノ扱いするな!」
怒りの焔を揺らめかせながら言う秋山を男は蔑むように見つめた。
元々付入る隙を与えたのは秋山であり、神崎直であった。
自分達はその綻びを突いて円滑に事を進めただけだ。それの何処が悪い?
開き直りともいえる傲慢な視線が秋山へと注がれた。
「そんなに大切ならば何故目を離されました?」
「...!」
「あなたが目を離さなければ彼女は騙されることもなく平穏な生活がおくれたはずです。
言い方を変えましょうか...、そもそもあなたと関わらなければ
彼女はこのゲームに巻き込まれることもなかった筈です。違いますか?」

残酷な言葉を平然と言ってのける男に対して秋山は返す言葉を失った。
そもそも今までは弱味など存在しないと思っていた自分の中に一つだけ残っていた大切な想い。
神崎直に対する「情愛」という感情。
それを利用されることになるとは思わなかった。
甘かったのだ、何もかもが...。
自分さえ彼女から離れれば問題は無いと勝手に思い込んでいた。
秋山を憎む相手はそんな彼の心の内を逆手に取り見事な攻撃を仕掛けてきた。
このゲームには絶対に負けられない。負ければ直の身が破滅してしまう。
そんな危機的状況を簡単に作り出すきっかけを与えてしまったのは秋山自身に他ならなかった。

「秋山様、「賞品」の品定めをする時間はあなたにも与えられております。
もうすぐ会場につきますので、その時はどうぞご存分に...。」
「分かった。」

そう言って秋山は男から離れ、再び後部座席へと身体を埋めた。
酷い眩暈が襲い、秋山は目を開けていられなくなっていた。
心と身体に背負った傷が、秋山の身体から力を奪っていく。
こんな時になにをやっているのだと自分に叱咤をしても秋山は疲弊に逆らうことが出来なかった。
囚われている直へと、想いを馳せながら秋山はゆっくりとその瞳を閉じた。






「秋山さん...」

直はぽつりと呟き、流れ落ちる涙を拭った。
先ほどの男達は連れ出されて、部屋には静寂の時間が流れている。
そんな中、直は満身創痍の状態でゲームに参加せざるをえなくなった秋山のことをずっと考えていた。
自分の愚かな行動のせいでまた彼が巻き込まれていく。
それを思うと悲しくなって涙が後から後から溢れて止まらなくなった。
あんな身体で無理をしたら大変なことになってしまう。
もうこれ以上の迷惑はかけたくないと思っているのに、
自分は秋山にとって足手まといでしかないという事実が直の苦しみに拍車をかけていた。

「秋山さん、ご...めんなさい」

深い悲哀にとらわれた直がしゃくりあげて泣こうとした時に扉が開く音が聞こえてきた。
先ほどの恐怖が蘇り、身体に緊張が走る。
直は身を固くして、警戒の意を強めた。

「誰...?」

近づく足音に直は恐る恐る顔を上げた。
瞬間、目に飛び込んできたのは会いたいと切望した秋山深一の姿だった。

「秋山さん!!」

檻の中央にへたり込んでいた直は立ち上がり、
閉ざされたその場所から秋山へ近づこうと駆け出していた。

「大丈夫か?」

翳りを帯びた眼差しが直を見つめる。
檻の外側に一生懸命伸ばしてきた彼女の掌に秋山は自分の手をそっと重ねた。
彼の体温が流れ込んできて、直の心が安堵感に満たされる。
秋山が傍にいるだけでこんなにも気持ちが楽になる自分を直は感じていた。
一方の秋山は彼女の自分に対する絶対的信頼が伝わって胸に小さな痛みが走った。
こんな目にあっているのが自分のせいだと知っても彼女はこの微笑を向けてくれるのだろうか?
そんな疑心にとらわれながら秋山は直を安心させるように優しく言った。

「来るのが遅くなって悪かった」
「私は大丈夫です。こうして秋山さんが来てくれただけですっごく心強くなりました。」

明るく言う直の笑顔が眩しく映った。
何処にいても、何をされても揺るがない光を持つ彼女の尊さに秋山は目を細めた。
この笑顔を、存在を守らなければならない。
秋山はふっと表情を緩めると直の手をとって自分の指と絡めるように握りこんだ。

「秋山さん??」
「必ず、助けるから...。」
「秋山さん、凄く熱いです!それに顔色も悪い、具合良くないですよね?いいはずありませんよね!!」
「俺は大丈夫。。。だから...」

言いながら自分の身体が傾いでいくのを秋山は感じていた。
無事でいてくれた彼女を目の前にして緊張感が途切れたのか、
秋山はそのまま檻へと倒れかかった。

「秋山さん、しっかりして!!誰か、誰か来て下さい!!秋山さんが!!!」

動揺する直の声を遠くの方で聞きながら秋山の瞳は徐々に閉じられていく。
暗い、暗い景色へと取り込まれて秋山の意識は完全にブラックアウトした。



底へ、底へと堕ちていく二人。



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2007.7.17るきあ 


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