雑然とした街中を秋山はなんの目的ももたずに彷徨っていた。
飛び交う異国の言葉達が今はなんだか心地よく聞こえる。
この喧騒が心の中に木霊する彼女の声をかき消してくれる。
そんな錯覚に身をおかずにはいられない自分の弱い心に秋山は苦い笑いを漏らした。
いつのまにか大きくなっていた神崎直の存在を切捨てたのは自分の方ではないか。
身勝手な己自身に反吐が出そうになった。
ないものねだりほどみっともないことはない。
秋山は一つ息を吐くと再び当て所も無く歩き始めた。
空虚な眼差しは何をも映さず、ただ暗く澱んでいくだけだった。


「秋山さん…」


そんな時、誰かが自分の名を呼んだ。
聞き覚えのある声に秋山はそっと顔を上げる。
視線の先にあったのは神崎直の切なげに緩んだ微笑だった。

「……お前、どうして」

秋山は咄嗟に冷然な態度を装った。
心の奥が騒ぎ出すのを感じながら秋山は必死でその思いを抑え付けた。
彼女から離れると決めた以上、「嘘」は突き通さなければならない。
秋山はわざと迷惑そうな表情を浮かべて直を睨んだ。

「俺の話、ちゃんと聞いてたよな?」
「はい、でも私どうしても納得できなくて…もう一度秋山さんと会ってお話がしたかったんです」

直の真剣な眼差しが秋山へと突き刺さる。
彼女の気持ちが痛いほどに伝わり、秋山の心は挫けそうになった。
このまま、共にある未来を選択できればどんなによいだろう。
しかし、それが出来ぬ話であるからこその苦渋の決断だった。
秋山には敵が多かった。
マルチ組織を壊滅させたことが更なる敵を作り出した大きな要因となっていた。
そしてハセガワからの忠告。
ゲームの駒として狙われているというのであれば自分の傍に彼女を置いておく訳にはいかない。
秋山が直を遠ざけておきたい理由は彼女を護るため以外のなにものでもなかった。

「俺は…、話すことはもう何もない」
「秋山さん!」
「帰れ。」

きつい表情を崩さないまま、感情を込めずに秋山はそう言い放った。
今にも泣き出しそうな直の顔を冷たい眼差しが見下ろしている。
まるで他人を見るような秋山の視線に直は身を竦めた。
完全な拒絶の意を露にした彼は無言のまま踵を返した。

もう、俺になにも期待するな。

とりつくしまもない秋山の背中が言外にそう忠告を与えていた。
対面すれば、少しは話を聞いてもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしくなった。
肩を落として俯いた直の心の中は深い絶望感に覆われていた。
そんななすすべを失った彼女へ、突然異変が訪れた。
往来の人々を蹴散らした一台の車が猛スピードで直進してきていた。
劈く轟音をあげながら、躊躇うこともなく突き進むそれは明らかに直を標的としていた。

「車?」

直は自分に向かって牙を剥こうとする車を前に動くことが出来なかった。
呆然として立ち尽くす彼女の姿を、異変を察知した秋山の鋭い視線が捉えていた。

「馬鹿っ!!そこから動け!!!!!」

秋山の叫びも、恐怖に支配されて身動きが取れなくなっている直には届かなかった。
その瞬間、秋山は走った。
直を救うために全速力で、彼女の元へと走った。


「あぶないっ!!」


車がまさに直へと突っ込もうとした瞬間、誰かの腕が自分の身体を突き飛ばした。

「え!?」

強い力に押し出されて直の体は宙へと浮いた、
驚いて見開いた瞳の先には必死の形相で自分を護ろうとする秋山の姿があった。

「あ...きやまさん!?」

何が起こったのか分からなかった。
ただ分かったのは秋山が自分を助けてくれたという事実だけ。
彼は一体どうなってしまったんだろう?
未だ呆然とする直の脇を彼等を仕損じた暴走車がすり抜けていった。
硝煙が舞い上がり、嫌な匂いが鼻をつく。
思わず顔を顰める直の目に、頭から血を流して倒れている秋山の姿が飛び込んできた。

「秋山さん!!」

道端に倒れこんでいる彼の元へと直は駆けた。
蹲ったまま、ぴくりとも動かない秋山からはとめどもなく赫い血が流れ出していた。
くらりと軽い眩暈が直を襲う。
気を失ってしまいそうな衝撃に直は必死で耐えた。
このままではいけない。
秋山は死なせるわけにはいかない。
心が与えた警鐘が直を奮い立たせた。

「秋山さん絶対に助けますから!」

直は気丈に唇を引き結び、涙を堪えながら携帯で救急にダイヤルした。
その間も流れる血と共に秋山の生が失われていくようで直は気が気ではなかった。
自分の為に秋山を失ってしまったらどうしよう?
そんな慟哭に襲われながら、直は秋山の傍へと膝を付き優しく触れた。
そしてゆっくりと空を仰ぐ。

どうか、彼をつれていかないでください、と
切なる願いを込めながら直は天へと祈りを捧げていた。





「秋山さん、」

病院へ到着して手当てが終わっても秋山が目を覚ます気配はいっこうになかった。
いくつもの点滴が施され、それがとても痛々しく映って見えた。
秋山は全身の打撲と右肩の骨折、直を庇った拍子に額の右側を切って5針も縫う怪我を負っていた。
加えて頭も強く打っていてそれが一番深刻かもしれないと医者から言われた。
土気色をした肌はまるで死人のようで
直は何度も何度も指先を彼の唇へと寄せて呼吸の有無を確認していた。
それをしていなければ秋山の命が奪われてしまいそうで怖かった。
不安感に苛まれた直は自らの手当てもしないままに秋山へと付き添っていた。
「神崎さん、でしたっけ?」
「はい、」
心ここにあらずといった直に病棟の看護師が声をかけた。
虚ろな瞳がゆっくりと彼女を見つめた。
「彼は大丈夫ですよ、もうすぐ意識も戻るでしょう。貴方も手当てをしないと」
言いながら看護師は直の姿を見て眉を顰めた。
剥き出しになったままの酷い擦過傷や打撲の痕に早い手当ての必要性を感じる。
看護師は秋山の傍から離れようとしない直の肩に優しく触れた。
「すぐに済みますから手当てにいきましょ?」
「でも、秋山さんが目を覚ますまでここにいたいんです!」
声を荒げる直の顔を看護師の優しい瞳が覗いた。
「大丈夫ですよ。10分くらいで処置します。そこから先はずっとついていて構いませんから」
明るい声でいう彼女に直はようやく首を縦に振った。
「よかった、さぁ行きましょう」
看護師に促され、そろりと立ち上がった直は名残惜しそうにもう一度秋山の方を振り返った。
この時、二人を苦しめる奈落の底が口を開いたとは思いもせずに、
直は秋山の寝顔を見つめ、病室を出て行った。




「う...」

秋山は重い瞼を開ける。瞬間、こめかみに激痛が走り思わず眉を顰めた、
「俺は。。?」
今度はゆっくりと目を開け、視線だけであたりを伺う。
ぼやけた視界ながらも見知らぬ景色に戸惑いを覚えた。
「ここは病院か...?」
直を庇って車の前へと飛び出してからの記憶が曖昧になっていた。
彼女は果たして無事だったのだろうか?
おそらく病室であろうこの場所に直の姿は見当たらなかった。
そろりと起き上がろうとした瞬間、体中が悲鳴をあげ大きな痛みの波が秋山を襲った。
彼は身体を二つに折り、力なくベッドへと沈み込む。
秋山は胎児のように丸くなり、ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返して痛みをやり過ごそうとした。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
襲ってくる激痛の所為で秋山の肌には脂汗が浮かんでいた。
元々色白の彼の顔色は度を失い、蒼白な唇からは相変わらず荒い呼吸が漏れていた。

「大丈夫ですか?」

そんな彼の耳に見知らぬ男の声が響いた。
いつからいたのだろうか?
黒衣をまとった見知らぬ細身の男が冷然とした笑みを浮かべて秋山を見下ろしていた。

「お前は誰だ?」

威嚇を孕んだ声色を使い、秋山は男を睨んだ。
無機質な彼の目線が妙に勘に触る。
秋山は本能的に目の前の男の危険を嗅ぎ取っていた。

「秋山深一様、あなたにライアーゲーム4回戦の招待状をお届けに参りました」

硬質な声と共に差し出されたのは見覚えのある黒い封筒、
秋山は怪訝な表情を浮かべて相手を仰ぎ見た。

「俺はペナルティ金を上納したはずだが?」
「ええ、確かに。でもご参加頂かなければ神崎直様の身に今日以上の脅威が及びますよ」
「なんだと...?」
「今回は貴方が庇われましたが、その体では次は無理でしょう?」

事も無げに言い放つ男を秋山は激しい瞳で睨みつけた。
ゲームへの参加を促す手段として彼女の身を危機へと貶める。
ハセガワが示唆していた新たな主催者の残虐性を秋山は肌で感じ取っていた。
この申し出に応じなければ、本当に彼女は...神崎直は狙われる。
秋山の急所を熟知したやり方に、彼はこの申し出を受けざるをえなかった。

「招待状をよこせ」

苦い表情を浮かべた秋山が声を絞り出した。
そんな彼のちらりと見つめ、男は満足そうに頷きながら言った。


「物分りが良くて大変結構です。では参りましょうか」


満身創痍な状態の秋山には酷な言葉が頭の上で響いた。
秋山は点滴を引き抜いて、ゆっくりと起き上がった。
激痛の残る身体を気力で奮い起こし、
秋山はライアーゲーム4回戦会場へと単身乗り込んでいった。


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2007.7.8るきあ なんだか鬼畜だ。


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