「直〜!!」
「あっ、絵梨おはよう」

大学への通学路、直は友人の顔を見つけると嬉しそうに顔を綻ばせた。
そして彼女を待ち、肩を並べて一緒に学校へと向かう。
ライアーゲーム3回戦が終了してから1ヶ月がたとうとしているが、未だ4回戦の通知は届かなかった。
波乱づくめだった直の生活に穏やかな日常が戻り始める。
大学と父の療養所とを行き来する普通の生活。
それがどんなに幸せなことであるかを直はしみじみと感じていた。
あるひとつのことを除いては。

『秋山さん…』

直はあの日以来まったく消息が掴めなくなってしまった彼のことを思い出していた。
いつも直の窮地を救ってくれた優しい人。
心に背負った傷を誰にも見せずにゲームを戦った、強くて…脆い人。
そんな彼の内側にある弱さを知ったとき、直は秋山を救いたいと強く感じた。
過酷だった3回戦を共に乗り越えることが出来たとき
少しは彼の力になれたような、そんな気がしていた。
しかし、秋山は直の前から姿を消した。
何も告げることもなく、はじめからいなかったかのように鮮やかに秋山は消えた。


「はぁああ、」
「どしたの?直。」
「ううん、なんでもない」
いきなり大きな溜息をついた直を絵梨が覗き込んでくる。
大きな瞳がしっかりと直を見つめていた。
「あんた、ここんとこあんまり学校きてなかったけどさ…なんかあった?」
心配そうな声に直は明るい表情で答えた。
「ううん、なんにもないよ。ありがと、絵梨」
「なら、よかった。あっ、あのさ…ちょっと頼まれてほしいことがあるんだけど」
「なに?あんまり変なことは嫌だよ」
警戒するように言う直に絵梨はおかしそうに笑いながら言った。
「変なことじゃないよ、これにサインていうか、署名してくれないかな??お願い、直!!」
「署名…?」
反芻するように言う直に絵梨はバッグの中から取り出した一枚の紙を差し出した。
そこには「旧校舎取り壊し反対!」と書かれた文字が印刷されている。
直はきょとんとした瞳で絵梨を見つめた。
「絵梨ってこんな運動してたっけ?」
「うん、私旧校舎の趣きがたまらなく好きでさ…なんか出来ないかなって思ってね」
いつも明るい絵梨の神妙な面持ちに心を動かされた。
ここは絵梨の力になってみよう。そう思った直は自らのペンを取り出した。
「分かった。署名するよ、どこに書けばいい?」
「ほんと、ありがとう直。じゃあこの2枚目に名前を書いて…、っと。
それで此処に拇印でいいから押してくれる??」
「あ、うん。あたし印鑑持ってるけどそれ押そうか?」
「頼む〜ありがと直」
深々と頭を下げる絵梨の姿がなんだか可愛らしくて直はくすりと笑みを零した。
「いいよ、こんなことくらい」
「ありがと。じゃあ私ちょっとこれ一緒に活動してる先輩に渡してくる〜」
「いってらっしゃい」
嬉々として走り出す絵梨を見送ったあと、直は教室へ向かって歩き始めた。
そんな彼女とは反対方向へ歩みを進めていた絵梨の向かった先は
同士の先輩…のところなどではなく一台の黒塗りのベンツだった。
ウインドウが静かに開き中の様子が見える。
そこには黒い細身のスーツをまとった若い男が乗っていた。
絵梨はその男に先程直が署名した用紙を黙って差し出した。

「これで、あたしはゲームからぬけれるんだよね!?」

必死の形相で言う絵梨に向かって男は鮮やかな笑みを傾けた。
「ええ、これは貴方の負債をなかったことにする以上の価値があります。ご苦労様でした」
無機質な声が車内に響き渡る。
男は絵梨に向かって軽く会釈をするとそのまま車を発進させた。
直の未来を泥へと落す起爆剤を手にしたままで。






「。。。。あっ、」

不意に鳴った携帯のディスプレイを見るとずっと待ち焦がれた人の名前が記されていた。
直ははやる心を抑えて電話にでる。
1ヶ月以上も音沙汰がなかった秋山からの着信に直は胸を躍らせた。

「秋山さん!!お久しぶりです、ずっと連絡してたのに、今まで何をしてたんですか??」
『相変わらずだね、君は...』

からかう様な口調が受話器の向こうから聞こえてくる。
久しぶりに聞く秋山の声に嬉しくて涙が出そうになった。
このまま会えなくなってしまったらどうしよう?
そんな絶望的な思いに囚われてた直にとって
彼からのコンタクトは心の底から嬉しい出来事だった。


「秋山さん、全然電話にでてくれないし…3回戦の後いなくなってしまったから心配してたんですよ」
必死な思いを言の葉にのせる直に向かって秋山は皮肉るように返事を返した。
『嫌がらせかと思って出るのやめてた』
「秋山さん!私、本気でずっと心配してたんですよ!!秋山さんが一人でまた色々抱えてしまわないかって…
それなのに、そんな風に言わないでください!!!」
冷たさを感じる秋山の戯言を聞いて涙が込みあがってきた。
この1ヶ月、もしかして秋山だけが4回戦に連れていかれてしまったのではないかと
夜も眠れなくなるほどに彼の身を案じ続けていた。
それなのに人を嘲るようなことをいうのは酷過ぎる。
相当の怒気を孕んだ直の言葉を静かに受け止めていた秋山はゆっくりと口を開いた。

『4回戦はもうない。さっき事務局から連絡があった』
「え、?」
『もう、全部終わったってことだ。だからこのまま全て忘れろ』
「全部って、」

何かの決意を込めた秋山の声に直はこれ以上聞くのが怖くなった。
以前から彼はゲーム以外での関わりあいを持つことをずっと拒否し続けていた。
関係を築く必要などない…とも言い切られたこともある。
ゲームが終わってしまえば、秋山が自分の元を去ってしまうのではないかという不安は
常に直の中に付きまとっていた。
そんな彼女の心をたたみかけるように秋山は一番直が聞きたくなかった言葉を紡ぎ始めた。

『とにかく全部忘れてしまえ。あんなゲームに参戦していたこと、そして俺のことも…』
「え、?」
『俺も、全部忘れる。いろんな憎しみや怒りの感情…そしてお前のことを』
「秋山さん!!待って、待ってください!!!」

納得が出来なかった。
こんな電話1本で簡単に終わらせてしまえるような、そんな薄い関係だったとは思いたくない。
懇願するように叫ぶ直に秋山は最後通牒を突きつけた。

『これ以上は迷惑なんだ。神崎直さん』
「あ…きやまさん、」

冷たい言葉が心の奥底に突き刺さった。
信じられなかった。
秋山の心が遮断されている現実を直は受け止めることができなかった。
直は言葉をなくしてその場に膝をついて崩れ落ちた。



呆然としている彼女の様子が受話器を通しても伝わってくる。
直の悲痛な声を聞きながら、秋山もまた自分が彼女によせる強い執着心を感じ取っていた。
もっと、簡単に切り捨てられると思っていたのに、実際はこんなに苦しい。
今まで味わったことのない痛みが胸を貫いた。
この、心を鷲掴みにされる感覚は一体なんだろう?
切ない思いが胸の中を過る。
しかし、もうおわりにしなければならないのだ。
彼女には進むべき開かれた未来がある。
自分はそれに水をさすような人間にはなりたくない。
秋山は直の未来へ思いをこめて最期の言葉を搾り出した。
断腸の思いを決して彼女に悟られないように。

『さよなら。』


秋山の落ち着いた声が耳元に届く。
それを最期にすげなく電話が切られた。
反論を与える隙もないままに一方的に告げられた別離に
直は何も考えることができなくなっていた。


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2007.7.6るきあ

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