「これ、買いすぎじゃねぇの?」
呆れるように言う秋山に直が即座に反論した。
「いいんです!!色々作りたいんだからこれくらい必要なんです」
軽く牽制する直にむかって秋山はやれやれと肩を竦めた。
「はいはい、仕方がないから俺が持ってやるよ」
「秋山さん、いいんですか?」
「いいんですかって…これお前持てないだろ?試すか??」
秋山の問いに直はぶんぶんと頭を横に振り否定の意を告げる。
「だろ?素直に頼んどけ」
秋山は軽く笑うと一番重たい荷物を持ち上げ、すたすたと歩き始めた。
直は残った荷物を持ち、慌てて彼の後ろをついていく。
とても普通な時間がお互いの間を流れていた。
こんなにも平和で、こんなにも穏やかな時が秋山の心に安らぎをもたらす。
おそらく彼女がいなければ気づかなかったであろう「些細な幸福」というものを秋山は感じていた。

「秋山さん、なんか聞こえませんか?」
突然の直の言葉に秋山は首を傾げた。
また直の猪突行動がはじまったようで、彼女はその場に立ちつくし耳をすました。
「ほらっ、また」
「??」
直が示すとおり、言われてみればなんとなく声が聞こえたような気がした。
かぼそい、動物らしきものの声。
そういうものをほっておけない性分の直と、そんな彼女をほっておけない秋山との利害は一致している。
二人は声の主を見つけるべく辺りを捜索し始めた。

ミーミー

「聞こえました??秋山さん」
「今のはさすがに聞こえた。」

しっかりと聞こえた子猫の声に二人は顔を見合わせた。
声のするほうへ歩いていくと、しっかりと目張りされた湿ったダンボールを見つけた。
「この中からだな…」
冷静な秋山がそれを開けると、中から出てきたのは一匹の黒い子猫だった。
いつから放置されていたのか、少し濡れて体温を失い小さな体を震わせている。
秋山は子猫を中から救い出すと、待ち受けていた直へと受け渡した。

「かわいそうに、寒かったね」

慈愛に満ちた眼差しを傾けながら直は子猫を胸へ抱いた。
暖めるように、何度も何度も優しく撫ぜてやる。
最初は身を硬くしてた子猫だったがやがて直に縋るようにその顔を腕の隙間へと潜らせた。
甘えるような行動が酷く可愛い。直の顔が同じように至福に緩んだ。

「よしよし、一緒におうちに帰ろう。もう大丈夫だからね」
「飼うのか?」
成り行きを静観していた秋山の問いに直は大きく頷いた。
「はい、こんなところにほっておけないですし…」
「君ならそういうだろうって思ってたけどね。じゃあ荷物は全部持ちましょうか?お嬢さん」
「……あ」
買い物帰りだったことをすっかり忘れていた直はぺろりと舌をだした。
頭の中はすっかり子猫でいっぱいになっており、買ったものは全て道路へおきっぱなしになっていた。
「…すみません」
「いい、もう慣れた」
やれやれという風にひとつ溜息をつくと秋山は直が投げ出していた全ての荷物を拾った。
こうして振り回されるのも彼女が相手ならば悪くはない。
こんな状況を楽しんでいる自分に驚きながら、直の荷物持ちを寡黙にこなしていた。




「飲んでるな、」
「はい、秋山さん」

自分達の食事の用意もそこそこに二人は子猫の一挙一動をおっていた。
今は温めたミルクをおいしそうに飲んでいる。
時折跳ね返るミルクと格闘する様がなんとも愛らしく、特に直はうっとりと目を細めて見つめていた。

「なんて可愛いの〜もうシンってば♪」
「シン??なんだそれ??」

いきなり「シン」という名前を言い出した直を秋山は訝しげな目で見つめた。
そんな彼の不穏な視線にもめげることもなく、
直は嬉しそうに猫にちょっかいをだしながら答えた。

「この子秋山さんみたいな雰囲気ありますから、だからシンってことで。」
「………は?」
「秋山深一さんの深一から頂いてシン。うん、凄くいい感じ〜」
1人で納得する直を秋山は呆れたようにみた。
まったく、最後までいいように暴走してくれる。
どこまでも彼女は彼女なのだ。
秋山はにやりと笑みを浮かべると直を突き落とすような一言を言い放った。

「…ベタ。」
「えーーーー!!酷い」
「ていうかお前、センスなさすぎ。俺の名前なんかつけるな、恥かしい」
さも嫌そうに言う秋山に対して直は思わず口を尖らせた。
「い・や・で・す」
「は??」
「この子の名前はシンで決まり。もう覆りませんからね。」
直は無敵の微笑みを秋山へと傾ける。
いたずらっぽく微笑む姿はまさに小悪魔で、秋山はもう陥落するしかなかった。
「…ったく、もういいよ」
フイと横をむいてしまった秋山の様子を直は優しい瞳で見つめていた。
このままずっと、こういう時間を過ごしていけたらよいと心から思っていた。
秋山と自分の未来は繋がっている。
そう信じて疑わなかった直はこの至福の時間に酔っていた。

秋山の真意などまるで知らずに…。




「あき…やま…さ。。。ん」
「いいから、寝てな。」
「はい・・・」

半分意識が落ちた状態の直は生返事をするとそのまま秋山の膝の上に頭をのせた。
過酷なゲームを制した後にはりきって食事までつくった故に疲れがでたのだろう。
秋山の体温を感じながら直は彼へと身を委ね、そのまま眠りに落ちた。

「寝てるときは本当に静かだな」

くすりと笑い、秋山は優しい指先で直の髪をそっと撫ぜる。
彼女の安眠を守るように、そっと触れながら秋山はぽつりと呟いた。


「これが最後だ。俺はお前から離れるよ。」


言いながら瞼の奥がツンとなるのを秋山は感じた。
そして頬を落ちる一筋の光。
自分の心を制御しきれない証の涙を秋山は手で拭った。

「俺の方が未練たらたらで情けないけど、これ以上は一緒にいてはやれない」

それは彼女を好きだと自覚を始めた頃から彼が秘めていた思いだった。
秋山は自身の胸の奥に燻り続ける闇を未だに御しきれずにいた。
このまま共にあれば、いつか彼女も取り込まれてしまうのではないかという疑念に秋山は苦しめられていた。
こんなに暗くて、こんなに汚い闇の世界へ彼女を巻き込むことなど、どうして出来よう?
秋山の口元に歪な笑みが浮かんだ。
この闇をどうやっても消せない自分は彼女の傍にはいられない。
綺麗で、強くて、優しい直。
本来自分が触れる資格などあるはずのなかったはずの少女…。
彼女の放つ眩い輝きを損ねない為に、秋山は身を引くことを決めた。
それは強い、強い決意だった。


「みやあ」

シンが可愛い声鳴きながら秋山の左膝にのぼり、ちょこんと座った。
綺麗な青い瞳が甘えるように緩み、秋山を見つめる。
彼は微かに微笑むとシンの喉元をくすぐるように撫でてやった。

「シン…、彼女を、直を頼むぞ」

自分の名を受けた子猫、シンを床へと離す。
そして秋山は完全に眠ってしまっている直の体をそっと抱き上げ、ベットへと降ろした。

「直…」


もう一度触れたいと思った。
けれど、出来なかった。
苦しげに表情を歪ませた彼は、そのまま直の部屋を出て行った。


二度と、振り返りはせずに、


自分の心に嘘をついて。



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