「あーーー可愛い♪」

なんとなくお互いの時間が空いていた休日、
買い物に行きたいという直の希望にこたえて二人は街へと繰り出していた。
嬉しそうに色々覗きながら歩いていた直は
とある雑貨屋の前で引きつけられる様に足を止めた。

「秋山さん、秋山さん」
「なんだ?」
「いいから、来てください」

直は少しだけ離れて歩いていた秋山に向かって手招きをしていた。
嬉々とした様子の彼女に秋山はなんとなく警戒心を抱いた。
こういう時の彼女は酷く危険なのだ。
妙な説得力を発揮する直に秋山は何度となく陥落させられていた。

「秋山さんの家は殺風景すぎるんです」

その一言が免罪符のようになって
カーテンだのベットカバーだのソファだの生活に関する物がどんどん増えていった。
ライアーゲームで得た賞金を思わぬ方向にフル活用する彼女を秋山は御すことができず、
気がつけばシンプルイズザベストが身上だった筈の秋山の部屋は見事「神崎直」色に染まっていた。
正直、今ではどっちが彼女の家か分からなくなってきているような状態である。
秋山はこれを許した自分に祝杯をあげたいような…そんな気分にさせられていた。

「これ可愛いと思いません?」
にこにこと満面の笑みを浮かべた直が指し示した先にあったのは
硝子のハートがいくつかさがった可愛らしい暖簾だった。
それを見た瞬間、秋山の顔が怪訝そうに歪んだ。
「却下。」
「返し早いですよ、秋山さん」
不満気に口を尖らせる直に向かって秋山は畳み掛けるように言った。
「早く言わないとお前これ買うだろう?だから却下。」
「えーーーひどい。だって見てくださいよ、こんなに可愛いじゃないですか。
キッチンにぴったりだと思うんだけどな〜」
「何処のキッチンにだ?」
若干の怒りを交じらせながら間髪をいれずに問い返す秋山に直はあっけらかんと答えた。
「もちろん、秋山さんの家です」
「大却下だ。行くぞ、」
「えっ、待ってくださいよ〜秋山さん」
話にならないとふんだ秋山は直をおいてすたすたと歩き始めた。
ある程度までならと今まで秋山は直の行動を許してきた。
だがピンクのハートの暖簾だけは本当に勘弁してほしい。
かたくななまでの決意を態度で示した秋山は振り返りもせずに歩みを進めていた、
そんな彼を直はがっかりとしたような風情で見つめる。
そして暖簾の方にもちらりと視線を移し、溜息をついた。
「ホント、可愛いのになぁ」
未練はたっぷりと残っていた。
しかし秋山に置いていかれる寂しさの方が勝った直は彼の背中を追いかけるように走り出した。
たかが暖簾、されど暖簾。
秋山によって却下されてしまったそれは寂しそうに店先で揺れていた。



「ただいま〜」
誰もいないのに明るく言う直の姿に秋山は苦笑を浮かべる。
買い物を済ませた二人は秋山の家に揃って帰宅していた。
すでに1週間のうちの半分以上はここで生活をしている直は慣れた様子で荷物をキッチンへと運び込む。
鼻歌まじりでご機嫌状態の彼女を尻目に秋山はリビングへ向かい購入したてのソファへと腰を下ろした。

「秋山さん、すぐにお茶いれますね〜」
「いいよ、別に…飲みたくなったらいれにいくし、」
「そうですか、じゃ色々やっちゃいまーす♪」
「ああ」
キッチンから聞こえてくる直の言葉に生返事で返した秋山は買ってきたばかりの本を紐解いた。
ずっと探していた心理学の原書がようやく手に入って秋山の心も何となく嬉々として弾んでいた。
こんな風に思えるようになったのも彼女の影響だった。
最初は自分の変化に戸惑いを隠せなかった秋山もだんだんと今の「自分」を受け入れ始めていた。
「さてと…」
秋山はぱらぱらと本をめくり、読み始める。
興味を引く内容に秋山は本の世界へと引き込まれていった。
そんな彼の様子をキッチンからに直はこっそりと覗いていた。
「秋山さん、本に集中してる。今がチャンスね」
しめしめとほくそ笑む直は秋山に隠れて買っていた例のハートの暖簾を取り出した。
「やっぱり可愛い♪ここにぴったりだよ」
秋山の目を盗んだ行動に若干のスリルを覚えながら直はしっかりと暖簾を飾り付けていた。



「秋山さん、そろそろご飯にしませんか?」
遠慮がちにかけられる声に秋山は顔を上げた。
本を読みふけっている間にそんなに時間が過ぎてしまったんだろうか。
秋山はすまなそうな表情を浮かべて直へと頭を下げた。
「ごめん、俺…すっかり夢中になってて食事の用意忘れてたよ」
「いいんですよ、そんなの。運ぶのだけ手伝ってくれれば」
「それはもちろん…」
言いながら立ち上がって二人は連れ立ってキッチンへと向かった。
部屋中に良い香りが立ち込め、それが秋山の鼻腔をくすぐった。
「何作ったの?」
「ビーフシチューです。秋山さん確か好きでしたよね?」
「ああ…って、お前、アレなんだ!!」
機嫌よく会話していた矢先、秋山の視界に飛び込んできたのは
先程彼が却下したはずのハートの暖簾だった。
「さっきこっそり買っちゃいました。やっぱり可愛かったでしょ?」
「俺は却下って言わなかったか?」
「言ってましたけど可愛い暖簾ちゃんの誘惑にはかないませんでした」
てへと舌を出す直に秋山は脱力した。この訳の分からないパワーは一体なんだろう?
欲しいものに対しても真っ直ぐに情熱が向いてしまう直に秋山は頭を抱えた。
「いつの間に買ったんだ、これ」
「秋山さんが本屋さんで楽しそうに物色している時です。中々のスリルでしたよ」
「物色って…何気に失礼だな。まっ、それはいい。
お前はコミックを買いに行くふりをして俺を欺いた。とそういう訳だな」
「そうなっちゃいますね。でも本当に凄くほしかったんです…ごめんなさい」
「ったく」
秋山はきらきらと揺れるハートを苦い表情で見つめていた。
よもや自分の部屋になんの因果がハートの暖簾を飾ることになろうとは
さしもの彼にもそれは想像がついていなかった。
「どんどん君に侵食されていくね、この部屋…」
「え?そうですか??確かにキッチンだけは私の好きなようにしちゃいましたけど」
「待て、今なんかものすごーく聞き捨てならないことを言ったね」
秋山が訝しげな目で直をにらんだ。
若干目がすわっているように見えるのは気のせいではないだろう。
そんな彼の視線をものともせずに直は明朗なまま言葉を続けた。
「秋山さん、言ってくれたじゃないですか。使いやすくしていいって」
「そんなこと言ってないし、」
平然としたまま言い放つ直に秋山は即座に突っ込んでいた。
彼女を誤解させるようなことをいつ自分はいったのだろう?
元々キッチンに自分が足を踏み入れることは少なくて
直がここにくるようになってからは、全てを彼女任せにしていたことは否めない。
その流れで食器が増えたから配列などを整えていいか?と問われたときに
使いやすくしていいと言ったことを秋山は何となく思い出した。
「あれか…」
直の脳内変換の凄まじさに秋山はがくりと項垂れた。
最近はいったこともなかったキッチンがどれだけ未知の領域になってしまったのか。
覚悟を決めた秋山はハートの暖簾をくぐってキッチンの中へと入った。
「異空間。。。」
秋山はぽつりと呟いて呆然と中を見つめた。
がらんどうとしていた筈の水周り周辺には調理に必要なものがすべて整えられており
調味料や鍋、色とりどりのボウルなどが使いやすそうに綺麗に並べられていた。
窓にはお決まりのカフェカーテンがかけられていて、ご丁寧に花まで飾られており
いつの間にか買い替えられていた見知らぬ大きな冷蔵庫がその存在感を誇っていた。
どこから見ても「新婚家庭」状態のキッチンに秋山は軽い眩暈を覚えた。
「いつの間に、こんな」
「すみません、ちょこちょことやってたらいつの間にかこんなことになってました。
でもここで料理するの、すんごく楽しいんですよ♪」
「そうだろうね…」
嬉しそうにはしゃぐ直を秋山は苦笑を交えつつ見つめていた。
きっと何の気なしにやったことなのだろうが、彼女の天真爛漫のレベルは高すぎる。
自分の想像を超えていく神崎直の行動に秋山はすっかりお手上げ状態だった。
秋山はそんな彼女の腰に手を伸ばすとグイと自分の方へと引き寄せた。
「秋山さん?」
腰を抱くようにして向かい合う秋山を直は不思議そうに見つめていた。
勢いにまかせた秋山は乞うような目線で直を捉えた。
「君さ、もういっそのことここに住めば?」
「え」
「ちゅーかもう色々好きにしていいからここにいろよ」
かなり大胆な告白だと思うのだが凄く投げやりに見えるのは秋山の憮然としたままの態度のせいであろう。
これには直が秋山へと突っ込みを返す番だった。
「秋山さん、ちょっとヤケになってません?」
「そういうこと言うか、お前」
「秋山さん、かなり可愛いですよ…いま」
「うるさい、」
小悪魔素質たっぷりの彼女はその実力をいかんなく発揮してちらりと秋山を見つめていた。
口惜しいと感じながらも彼女を帰したくないと思うのは、自分の心が常に直を求めていることに他ならなかった。

「で、いるのか、いないのかどっちにするんだ?」

あくまでも上から物を言ってしまうのは日頃培われた習性で今更どうしようも出来なかった。
直はそんな秋山の頬に向かって手を伸ばすと、眩しいほどに綺麗な微笑を浮かべながら言った。

「ここにいます、秋山さん」

直の答えに秋山の顔にも笑みが宿っていた。



『君さえいれば。』


END
裕哉ちゃんオススメの曲のタイトルつけちゃった。やべ連絡しなきゃだわー
2007.7.24るきあ

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