もう、駄目だ。


直は愕然として床へと崩れ落ちた。
ヨコヤを信じて自らのカードを渡したというのに簡単に裏切られた。
愁傷な態度を演じてみせた彼の真の目的は
直のカードを餌にして秋山の持つ3人のカードを奪うことだったのだ。

自分か、あの3人か...どちらかを選べ。

そんな過酷な選択をヨコヤは秋山へ強要しようしている。
秋山を救いたくて、こんな行動にでたというのに完全にそれが裏目となってしまった。
そんな直に追い討ちをかけるようにヨコヤは非情な言葉を放った。

「どういう気分ですか、神崎さん...貴方の浅はかな行動のせいで秋山が苦しむのを見るのは?」

歪な笑みがねっとりと絡みついてきて気分が悪かった。
直は唇を引き結んでヨコヤの侮蔑に耐える。
負けて、泣くのは駄目だ。
それでは何も変えられない。
秋山の心を動かすことなんて出来やしない。
そんな思いを糧にして直はゆっくりと顔をあげた。
そしてヨコヤをまっすぐと見つめる。まぶしい輝きを放つ、綺麗な瞳がヨコヤを捉えた。

「ヨコヤさん、私のカードを返してください」
「は?なんとおっしゃいましたか?」
「今なら、まだ間に合います。私はあなたのことも救いたいんです。
それを返してくれさえすれば、私はもう一度あなたを信じます。
お願いです、カードを返してください」

真剣な眼差しをむけて直はヨコヤへと手を差し出した。
直は信じたかった。彼に残された人としての良心を...。
しかしヨコヤはそんな直を嘲るように眺めたあと、高らかな声をあげて笑った。
今まで味わったことのない壮絶な悪意を感じて直は思わず身を固くした。

「本当に困ったお嬢さんだな、言ったでしょう?私に救いは必要ないんだと。」
「ヨコヤさん、」
「私は貴方のような人が一番嫌いなんですよ、神崎直さん。
あなたの美徳は私にとっては欺瞞以外のなにものでもない。
私を救うなどという思い上がりはいい加減にやめてもらえませんか?」

引き攣れた声で言い放ち、ヨコヤは蔑むように直を見下ろしていた。
こんな女に何が出来るというのだ?
この飢え乾いた心を満たすことが出来るのは人を騙し、傷つけ、貶めることだけ。
直とは真逆の価値観で生きるヨコヤには彼女の思いは届かなかった。

「さて、どうします?あなたの騎士は助けにはこれませんよ。ここは密室ですからね」

勝ち誇ったように言うヨコヤを直は悲しそうに見つめていた。
気丈に保っていた心が折れそうになる。
秋山を、ヨコヤを救いたいと願ったのは自分の思い上がりにすぎなかったのだろうか?
誰も心の奥底から悪い人間などいないというのはまやかしにしかすぎないのだろうか?

自分は、間違っていたのだろうか?


張り詰めていた心が一気に音を立てて崩れる。
直の瞳から溢れた涙が小さな音を立てて床へと転がり落ちた。

「おや、泣かせてしまいましたか。これは失礼」

そんな彼女を一瞥したヨコヤは嘲笑を漏らした。
こんな女などしょせんただの小娘に過ぎない。
偽善で心が豊かになれる世界でせいぜい生きるがいい。
秋山をこのゲームに引きこむことに成功した時点で彼女の利用価値はなくなっている、
なぜ、またしゃしゃりでてきたかは分からないが傷が浅いうちに帰してやろう。
ヨコヤは余裕の笑みを浮かべながら、片膝をつくとぐいと直の顔を指先で上へと向けた。
瞬間、怯える子犬のような瞳が目に映る。
恐怖の感情は実に気持ちがいい。
ヨコヤの狂気を孕んだ感情はそのまま直へと牙を剥いた。

「でもそんなに弱くて本当に秋山を救うことなど出来るんですか?貴方に」

心理を突かれたような気がして直は呆然とヨコヤを見つめた。
心が挫かれてしまった彼女は、巧みに人心を操るヨコヤの術中へ堕ちようとしていた。
そんな時、検査ルームの扉がいきなり開いた。

「その手を離せ、ヨコヤ」
「秋山...!?」

ヨコヤの視線の先には宿敵、秋山深一がたっていた。

「あ...きやまさん?」

秋山は不遜な眼差しでヨコヤを捉えながら、直の傍へとやってきた。
厳しい表情を崩さない彼はそのまま直へ向かって手を差し伸べる。
憮然としたままの秋山を直は驚いて見つめた。

「また、負けて泣いてるのか?」
「秋山さん、」
「それで俺にこうやって無茶の尻拭いをさせるのか?」

秋山の冷たい言葉が直の心に突き刺さった。
静かな怒りを込めた彼の様子に直はどう言葉を紡いでよいのか分からなくなった。
そんな自分の態度に萎縮してしまっている彼女の手を秋山は取った。
緊張ですっかり冷たくなってしまっている手、直の凍えた心が伝わって胸が痛んだ。
彼女の先走った行動にはいつもやきもきさせられるだけだと思っていたのに
いざとなるとこうやって助けてしまうのは何故だろう?
秋山にも自分の心がおしはかれないままだった。
無理にゲートを開かせ、作戦も立てないままに此処へと向かわせた原動力は一体何なのだろう?
秋山は深い瞳で直を見る。
どこか怯えたような表情が痛々しくて思わず彼女から視線をそらした。

「秋山さん、ごめんなさい・・・・・・」
消え入りそうな声で謝る直を秋山は助け起こすと自分の背の後ろへと彼女を隠した。
「もう、いいよ」
「秋山さん、」

秋山は直を安心させるように少し柔らかな声色でそう告げる。
これ以上、彼女がヨコヤの汚れた感情の餌食になる必要はない。
それを受けるのは自分の役目だ。
いまだ憎しみを浄化できない自分にはおあつらえ向きの相手がそんな二人の姿を面白そうに眺めていた。

「睦言はもうおわりですか、秋山くん」
「ヨコヤ...、」
直と接したときとはまるで正反対の人格が姿をあらわした。
まるで悪鬼のような表情を浮かべた秋山は挑むようにヨコヤを睨み付けた。

「秋山くん、君はきっと来ると思っていましたよ...」

ヨコヤはくすくすと笑いながら、秋山を舐める様に見回した。
考え無しに此処へでてきたことを必ず後悔させてやる。
そんな蛇のような目線をするりとかわし、秋山は怜悧な笑みをヨコヤへと傾けた。

「ヨコヤ、間違えるなよ。お前の相手はこの俺だ」


強い言葉と、強い意志で秋山は戦いの始まりを告げた。
それは自分の為の戦いなのか?
それとも彼女を守るためのものなのか?


いまだ自らの真意を図れないままに、ヨコヤとの対峙が始まろうとしていた。



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