夜中に突然携帯が鳴った。
相手は多分直だろう。しかしこんな時間にかけてくるのは珍しい。
秋山は不審に思って通話ボタンを押した。

「もしもし...」

彼女の声は半分意識が落ちかけていた秋山を一気に正気へと揺り起こした。
悲痛な声が耳元に届いて、胸が少し痛む。
そんな彼女を宥めるように優しく秋山は言った。

「そこで待ってろ、すぐいくから」

秋山はバイクの鍵を手に取るとそのまま自分の部屋を飛び出していた。



「直...、」

とるものもとりあえず直の父親が入院している療養所へと駆けつけた秋山は
電灯が落とされた暗い廊下に一人でぽつんと座っている彼女を見つけた。
直は秋山の顔を見つけると、くしゃと顔を歪ませた。
堪えていた大粒の涙が転がり落ちる。
直はそのまま秋山の胸へと縋り付いた。

「秋山さ...ん、お父さ...ん、もう...もう駄目かもしれないんで...す
今...一応、痛まないように治療...してもらってて」

涙で途切れがちなる声で状況を伝える直が痛々しくて
秋山は彼女をそっと体ごと抱きしめた。
震える直を安心させてやりたかった。
こんな悲しい声で泣く姿を見たくはなかった。
秋山は目を伏せながら、直を抱く腕に力を込めた。

「大丈夫だ。」
「秋山さん、」
「一緒にいるよ。お前がいいっていうまで」

強気な言葉とは相対して、秋山の指は慈しむように直の髪を撫ぜていた。
この人は優しい。
直はそう感じながら秋山の胸に顔をうずめた。
彼の規則正しい心音が間近に聞こえてとても安心できる。

秋山が傍にいてくれるだけで、
先程までの恐怖心が嘘のように消えていくのが分かった。
直は泣きながらも微かな笑顔を秋山へと傾けた。

「秋山さん、ありがとうございます」
「いいよ、別に。」

健気な直の姿を見て秋山は胸の奥がツンと痛んだ。
いつも、どんな時でも自分よりも人のことを気遣う彼女...。
そんな彼女に対して自分は何をしてやれるのだろうか?
秋山は苦笑を浮かべながら、直の背中をそっと撫でてやった。
貰うばかりで、まだ何も返せていない自分だけれど
せめて温もりだけでも与えてやれたら。
秋山は直を安心させるように、優しい微笑みを口元へ浮かべた。

「ずっと休んでないんだろう?俺が起きてるからお前は休め」
「え...?」
「今、お父さん治療中だろう...、何かあったら起こしてやるから」
「でも、そんなの悪いですよ。」
「いいから、休め」
これ以上は何も言わせないとでも言うように
秋山は直の腕を取ると病室の前にあったソファへと座らせた。
驚いた表情を浮かべる彼女の横へどっかりと秋山自身も腰を下ろした。
「秋山さん...、」
「眠りづらければ肩にもたれてろ。」
ぶっきらぼうに言う秋山がどこかおかしくて直は小さな笑みを漏らした。
「はい。」
直はそんな彼に返事を返すと言われたとおり、秋山の肩へと頭を傾けた。
そしてゆっくりと目を閉じる。
張り詰めていた心が放たれて、直は知らない間に眠りへと引き込まれていった。



「直、」

気持ちよさそうに寝息を立てている彼女の頬に秋山はそっと指で触れた。
やわらかい感触に思わず目を細める。
余程疲れていたのか、直はまったく目を覚ます気配がなかった。
秋山の横で安心した彼女は久しぶりの深い眠りに落ちていた。

「このままじゃ、風邪をひくな」

秋山は自分のジャケットを直へとかけてやってはいたが
まだなんとなく肌寒さが残っている。
父親のことで精神的にも肉体的にも無理をしている彼女に
これ以上の負担はかけたくなかった。

「直ちゃん...?いるのかしら??」

そんな時、病室の中から看護師の女性が現れた。
彼女は直と秋山とを交互に見つめると、秋山に向かって問いかけてきた。
「あら...直ちゃんの彼氏さん?確か秋山さんっていうんでしたっけ?」
まったくもって見知らぬ女性が自分の名を口にした。
秋山は思わず横で幸せそうに眠る直を見つめる。
素直な彼女のことだ、きっと色々話しているのであろう。
気恥ずかしさが頭をもたげ、秋山は視線を避けるように俯いてしまった。
そんな彼の様子を見て看護師は軽い笑みを秋山へと傾けながら言った。

「直ちゃん、そんなに色々あなたのことお話してませんよ。
あまりに彼女が綺麗になったから私がつっこんだだけ。
それより、直ちゃん眠ってしまっているのよね、どうしようかしら?」
「彼女のお父さんのことですか?何かありましたか」
秋山の心に緊張が走る。万が一のことがあったとしたら直はとても悲しむだろう。
そうはならないようにと祈りながら秋山は看護師の言葉を待った。
「なんとか痛みが治まったみたいで今は落ち着きましたよ。」
「そうですか、」
「直ちゃんも安心するわね、心配で昨日も寝ていなかったから」
「昨日も?」
そんなことは一言もいってはいなかった。
人にはうるさく色々言うくせに、自分は一人でぎりぎりまで抱え込む。
それが秋山には口惜しかった。
彼は、直の全てを守りたかった。
あの時、自分を救ってくれたように、秋山は直を守りたかった。

「あの、毛布をかしてもらえませんか?」

秋山は看護師にそういうと、
彼女はそのまま一度病室に戻り中から毛布を持ってきて秋山へと手渡してくれた。
「直ちゃんは無理をする子だから…。お父さんは大丈夫だからゆっくり寝かせてあげてね」
「はい、ありがとうございました」
秋山が一礼すると看護師はそのまま「お大事に」とだけ告げてナースステーションへと戻っていった。
秋山は彼女の姿を見送ったあと、毛布を広げて直へとかけてやる。
それによってもたらされた暖かさが心地よいのか、直の顔に幸福そうな笑顔が浮かんでいた。

「あ...きやま...さん」

なんの夢を見ているのか自分の名を呟いた直の顔を秋山は見つめた。

「人の気も知らないでよく寝てる」

秋山はくすりと笑うとそのまま直の瞼へそっと唇をよせた。
恋情が溢れてとまらない。
自分を気持ちをひきつけてやまない彼女を今は、ゆっくりと休ませてやりたかった。

「お休み。」

耳元でそう囁かれたのを直は遠くの方で聞いたような気がした。
彼が傍にいることの幸福を知った夜は静かに更けていく。


END

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