「秋山さん…秋山さん、」
「神崎さん、落ち着きなさい…」

横矢は泣きながら取り乱す直を落ち着かせるようにそっと肩を抱いた。
直からの電話を受けて、内密に医者が必要であると判断した横矢は
ライアーゲーム事務局員エリーへと連絡をとった。
彼女は病の淵にあるハセガワを看取るために医師免許を取得している。
すぐにエリーを伴って直の部屋についた時、横矢はその光景を見て愕然とした。
ベッドの上には腹にナイフが刺さったままの秋山がいた。
その傍らには彼を運ぶ際に浴びた血を拭うこともないままに
直が必死に秋山の意識を呼び起こそうと、何度も何度もその名を呼びつづけていた。
思わずかける声を失った横矢の代わりにエリーが直へと言葉を投げた。

「神崎様、お久しぶりです」
「エリーさん?…社長!!」

エリーの声を聞いて振り返った時、今まで堪えていたものが全て噴出して
直の瞳から大粒の涙が転がり落ちた。
気丈にも1人でこんな状態の秋山をここまで運び、
秋山が死んでしまうかもしれないという恐怖心と1人で戦っていた直は
見知った顔が現れた瞬間に、その心のたがが外れた。

「秋山さんが、秋山さんが刺されたみたいで…、でもナイフはヘタに抜いたらいけないって
どこかで見たことがあって、でも、秋山さん苦しそうで、私どうしたらいいか、分からなくて」

大泣きしてしゃくりあげなから状況を説明する直にエリーは優しく微笑んだ。
いつもどこか冷然としていた彼女の初めてみた笑顔。直はそれだけでどこか心強さを感じた。
不意に訪れた安心感からふぅっと力の抜けた直はその場にへたりこんだ。

「神崎様、安心なさってください。秋山様は大丈夫ですよ」
「はい、……。」
「さっ、神崎さんはこちらへ。後はエリーに任せましょう」
横矢は直を助け起こし、自分の傍にあった椅子へと彼女を座らせた。
その間にエリーはベッドの上に横たわる秋山を見る。
蒼白な顔色が出血多量の貧血状態に陥っているのを物語っていた。
まずはこのナイフを何とかしなければならない。
エリーは持ってきた鞄の中からガーゼを取り出しそれを丸めると秋山の口に咥えさせた。
麻酔がないのが辛いところだが事は一刻を争う。
エリーは苦しそうに眉根をよせてうめく秋山に声をかけた。
「秋山様、今からこのナイフを抜きます。少し辛いでしょうが我慢なさってください」
エリーの問いかけに秋山は微かに瞼を動かした。
それを同意と受け止めたエリーは刺さるナイフへと手をかける。
そして一気に、均等の力でそれを引き抜いた。

「いっ……、!」
「秋山さん!!」

ナイフが抜かれた瞬間、秋山の体が弓なりにたわんだ。
その体をエリーの手が押さえつける。下手に動かれてはまた出血が酷くなってしまう。
エリーは大きめのガーゼで傷口を押さえてとりあえず止血の処置を施した。
痛みと苦痛の衝撃から秋山の額からは脂汗が玉のように転がり落ちている。
秋山の苦悶の表情が直の胸を貫き、どうしようも出来なくなった。
いてもたってもいられなくなった直は彼の傍へと駆け寄った。

「神崎様、まだ処置が残っていますよ」
「だけど、秋山さんが…あんまりにも辛そうで、せめて汗だけでもふかせてください」

涙でぐちゃぐちゃになった顔に不安の色が落ちている。
エリーはふっと表情を緩めると直にタオルを手渡した。

「では手伝ってくださいますか?まずは口からガーゼをはずして汗をふいてあげてください」
「はい!」
エリーの優しさを感じながら直は彼女の指示のとおりに
秋山が咥えていたガーゼをとってやり流れる脂汗を丁寧に拭った。
そんな直の気配を感じたのか、秋山がうっすらとその瞳を開ける。
震える手が直の腕をしっかりとつかまえた。

「な…お?」
「秋山さん!?気が付きましたか??秋山さん、秋山さん!!」

必死なあまり声が裏返りながらも直は彼の名を叫んでいた。
そんな彼女の頬に秋山はそっと手を伸ばした。
「俺は…なんで、」
「秋山さん、刺されて私の家の前にいたんですよ。覚えていますか??」
「……、俺が?」

秋山は半分揺らいでいる意識の中で自問していた。
二度と会うまいと心に決めたはずの彼女の傍に何故自分はいるのだろう?
どうして此処にきてしまったのだろう?
自分の行動は恥ずべきものだと秋山は思った。
彼女を捨てたのは自分なのに、最期にそれをまた求めようなんて都合がよすぎる。
自分のエゴに強さには反吐がでそうだ。いっそあのまま死んでしまえればよかったのに。
そんな秋山の心を見透かすように、成り行きを静観していた横矢が重たい口を開いた。

「お前、神崎さんのことなんだと思ってるんだ」
「社長?」
横矢の冷たい視線が秋山を見下ろしていた。
いつもいつも彼女を傷つけて、泣かせる秋山を目の前にして横矢の感情は爆発した。
直の庇護者である横矢の我慢はもう限界に達していたのだ。
「自分が死ぬかと思ったら彼女の顔が見たくなったんだろ?本当に勝手な男だな。」
「ヨコヤ…?なんでお前が。。、」
秋山はかつての宿敵の顔を見つけて驚いたような表情を浮かべた。
何故彼はここにいるのだろうか?それすらも分からず秋山は呆然と横矢を見た。
当然のように直を庇い、自分を睨みつける横矢の姿に秋山は以前とは違う彼を感じていた。
「そんなことはどうでもいい。なんで今更彼女の前に現れて、こんな状況に陥れるんだ?
お前は神崎さんを捨てたんだろう?だったら自分でなんとかしろ、これ以上彼女をまきこむな」
重傷を負っている秋山にはきつい言葉が浴びせられる。
秋山は返す言葉を失い、横矢の視線から逃れるように目をそらした。
そんな彼らの間のとても穏やかな表情を浮かべた直が割ってはいった。
「横矢さん、ありがとうございます」
落ち着いた直の声に横矢ははっとして彼女を見つめた。
今まで見たことのないような綺麗な微笑みを浮かべて、直は秋山の手に優しく自分の手を重ねた。
いきなり感じる彼女の体温に秋山は切なげに瞳を緩ませた。
「秋山さんが、私のことを思い出してくれたって分かっただけで…私は嬉しい。
今日ここに来てくれて、秋山さんを助けることが出来て、私はそれだけで嬉しい。だからもう…」
これ以上秋山さんを責めないで。
言外に含んだ彼女の言葉に横矢は静かに頷いた。
「ったく、あなたって人は…」
直の心根の美しさには本当に頭が下がる。
本当ならば彼女が秋山を責めてもいいはずなのに、直は彼がいるのを嬉しいと言い切る。
こうもはっきりと言われてしまっては横矢にはこれ以上成す術がなかった。
「秋山くん…あなたは彼女に感謝すべきです」
「横矢さん、いいんですってば」
いつもの明るい調子で直はそう言うと、今度は秋山の方を振り返った。
「秋山さん、大丈夫ですか?私はまた秋山さんに会えて嬉しいです。だから気にしないでいてください」
眩い笑顔が心に突き刺さる。秋山の昏い眼差しはそれを避けるようにゆっくりと閉じられた。
「…ごめん」
小さく紡がれた謝罪の言葉に直は大丈夫とでも言うように首を振った。
「いいんです」
直は秋山を安心させるように優しく言った。
酷い傷を負っている彼をこれ以上苦しめることはしたくはない。
激痛が体を貫いているはずなのに、ただ黙ってそれに耐える秋山の姿がとても痛々しく映っていた。
「それでは手当てを進めましょうか?」
この騒ぎの中でも冷静に手当ての為の準備を続けていたエリーが声をかける。
直は秋山の傍から離れると黙ってエリーの治療を見守っていた。



「神崎様、今夜は高熱をだす恐れがありますので薬を置いていきます。解熱剤と抗生物質と…、」

すべての治療を終えた時、時間はすでにAM1時を回っていた。
エリーは鞄の中から薬を取り出し、次々と直へと手渡していく。
直は看護の要点をエリーから聞きながら真剣にメモをとっていた。
こういうところがとても健気で助けたくなるのだと横矢はそう思っていた。

「社長、エリーさん、本当にどうもありがとうございました」
直は二人に向かって深々と頭を下げた。
感謝してもしたりないぐらいの気持ちで一杯だった。
そんな素直な彼女の心に答えるようにエリーもまた笑みを返した。
「秋山様の支えになれるのはあなただけです。頑張ってください」
「エリーさん、」
「明日、また様子を見に伺わせて頂きます。では、私はこれで」
いつもの冷徹な表情へと戻ったエリーは一つ頭をさげるとゆっくりと部屋からでた。
それに横矢も従い部屋をでる。直はそんな彼の背中に言葉を投げた。
「社長、私…本当に感謝してます。今日お二人が来てくれなかったら、私…」
「神崎さん」
くるりと振り向いた横矢の顔には慈愛と優しさに満ちた笑顔が浮かんでいた。

「幸せになりなさい…、秋山くんと」
「社長、」
「それが私の願いです。」

横矢の心からの言葉に直は涙が出そうになった。
彼がどんな風に自分を見守ってきてくれたかが分かる温かい言葉は直の心に染み入った。

「がんばります」

ゆっくりと遠ざかっていく二人の後姿を見送りながら直はそう呟いていた。




「熱…酷いかもしれない」
エリーから言われていたように夜が深まるに連れて秋山の熱はどんどんあがる一方だった。
次から次へと浮かんでくる玉のような汗を何度なく拭いながら直は小さく息をついた。
「秋山さん、苦しそう」
ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら眠る秋山の顔は苦痛に歪んでいた。
何度なく冷えピタを額へと貼ってはみるがすぐに温まってしまう。
直はそんな彼を少しでも楽にしてあげたくて、今度は冷水で浸したタオルをもってこようと立ち上がった。
そんな時、秋山の低い声がそれを押しとどめた。

「直…、」
「なんですか?秋山さん」

呼びかけられて、直は秋山の顔を覗き込んだ。
以前と変わらぬ優しさを隠した切れ長の瞳…。それが深く直を見つめていた。
「振り回して本当にすまなかった。まさか此処へきてしまうなんて…自分でも思わなかった。」
「秋山さん、」
「ヨコヤのいうとおりだ。ああ、死ぬんだって思った時、頭に浮かんだのは君だった」
以前の彼ならば決して言わなかった言葉が秋山の口から紡がれた。
「会いたいって…ただそれだけ思って、そうしたら此処へ体が向いていた」
怪我のせいで心が弱っている今なら彼女へ本音が吐き出せそうだ。
こんなにひねくれきった自分が時々嫌になる。
幾つになっても自分を誤魔化し続けた結果が、
こんな目にあうことだとしたらこれこそ自業自得だと秋山は思った。
「あの、秋山さんひとつ聞いてもいいですか?」
思考を彷徨わせている秋山に直が遠慮がちに声をかけた。
その様子は以前と変わりなく愛らしくて秋山の顔にも笑顔が戻った。
「どうぞ…。」
「秋山さん、どうして刺されたりしたんですか?まさか悪の仕事に手を染めたりしてるんじゃあ?」
そう言いながら直は訝しげな目で秋山を見つめた。
その姿があまりにおかしくて秋山はくすりと小さな笑みを零した。
「その独創的思考、変わらないね。使って悪いんだけど俺の鞄とってくれる?」
「はい」
秋山に促されて直は彼の鞄を持ってベットサイドへと戻った。
「これでいいですか?」
「ああ、サンキュ。」
いいながらごそごそと中身をかき回し、秋山は一枚の名刺を直へと差し出した。
「はい、」
「東都日報…、社会部、秋山深一。…って秋山さん新聞記者さんですか??」
すっとんきょうな声を上げながら直は秋山と名刺とを仰ぎ見た。
まさか秋山が新聞記者になっていようとは夢にも思わなかった。
「そういうこと。これもその取材活動の一環でやられた。でかいヤマを相手にしてるからな。
まさか刺されるとは思っていなかったけど…」
「相変わらず社会悪と立ち向かってるって訳ですね!秋山さんらしいです」
「社会悪って…。」
少しは大人っぽくなったと思ったらやはり根底の部分は変わっていない直を秋山は嬉しく思った。
3年の月日が流れても時間を感じさせない距離感に、
直が自分の半身の存在であることに秋山はようやく気が付いた。
もう、遅いのかもしれない…

けれど取り戻したい、彼女の全てを。


「秋山さん?具合大丈夫ですか…顔色凄く悪いです。ちゃんと眠らないと。」
心配して覗く直の腕を秋山は強い力で握った。
そしてそのまま彼女の身体を自分の胸の中へと抱き寄せた。

「あっ、秋山さん!?」

突然の出来事に面食らった直はドギマギしながら秋山の胸の中にいた。
秋山はほっとしたように一つ安堵の溜息をついた。

「しばらくこのままでいさせてくれ…」

掠れた声が耳元に響く。直は傷口に触れないようにそっと秋山の背中へと手を廻した。
互いの熱を感じあいながら、互いの心を繋ぎあう。
昔となんら変わりの無い秋山の心に直は涙が出そうになった。

「秋山さんはずるいです。こうやれば私が怒らないって思ってるでしょ」

小さくそう呟く直の顔を秋山は包むような眼差しで見つめていた。
何故、過去の自分は彼女から逃げようとしたのだろう。
彼女を想うとこんなにも愛しくて、こんなにも切なくなる。
この気持ちを無視することなど、もう出来ない。
秋山は再び彼女を抱きしめながら言った。

「思ってない、お前は怒って当然だって感じてる。
俺はいつでも自分のことしか考えていなかった。
自分の中にずっと抱えてた闇がいつかお前を汚してしまうってそう思って姿を消した。
けど違った。本当は人と真剣に交わることが怖かったんだ。」
「秋山さん、」
「おかしいだろ?知識武装だけは一人前でこんなことが怖いんだ。
俺はずっと、お前を好きだったっていうのに、お前と触れ合うのが怖くて逃げたんだ。」
矛盾する自分がおかしくて秋山は笑った。
手を伸ばせばすぐに手にいれることが出来た幸福を水泡に帰したのは自らの手からだった。

「今も、怖いですか…?」
遠慮がちに紡がれた言葉に秋山はこくんと頷いた。
「怖いよ、お前のことを考えると酷く怖い…。俺の今の気持ちを受け入れてもらえるかとか…」
「今の気持ち…?」
反芻する直に秋山は苦笑を浮かべた。相変わらず目敏いところも変わっていない。
秋山は意を決したように真剣な眼差しを携えて直を見つめた。

「これからずっとお前といたい。もう遅いかもしれないけど…、俺はお前が好きだから」
「秋山さん、」
秋山の告白に直は目を潤ませた。
直の気持ちは3年前のあの日から変わってはいない。
ずっと大切にしてきた想いがようやく昇華され、涙に変わる。
直はぽろぽろと大粒の涙を零した。

「泣かないでくれ、なんか気がおかしくなりそうだから」
「ごめんなさい、私嬉しくて。私はずっと秋山さんを好きでした。だから、だから」
「直、」

これ以上、言葉は無用であった。
愛しさが溢れ、それが二人の心を満たしていく。
互いの存在の大きさを確かめ合いながら、秋山は直を深く抱きしめた。

もう離すことはできない。


そんな新しい決意を胸に秘めながら
秋山は直を、強く抱いた。


END




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