「ここでよかったんだよな」
「はい…」

受け取った鍵で部屋に入ると秋山は直の身体をそっとベットの上に下ろした。
「まだ身体の調子よくないだろ?ちゃんと休んどきな」
「はい…」

秋山は軽く直の頭を撫ぜると、そのまま横になるように促した。
直は言うことを聞き、無言のままそっとベットへと身を横たえる。
そんな彼女に秋山は毛布をかけてやった。
過酷な戦いを自分を支えて乗り切ってくれた直の精神的疲労を考えると
早くゆっくり休ませてやりたいと思った。
しかし直は不意に秋山の体温が離れたことに戸惑いを覚えていた。

離れたくない。

そんな思いから直の顔に寂しげな表情が浮かぶ。
今までみたことのないような彼女の様子に秋山は首を傾げた。

「どうした…?」

自分を覗き込む秋山の優しい瞳に心の奥がずきんと痛んだ。
直は身を起こすとそのまま秋山の腕を掴んだ。

「秋山さん…」
「どうしたんだ??」

直に繋ぎとめられた秋山はベッドサイドへと腰をおろした。
切れ長の瞳に見つめられ、心臓が早鐘のように音をたてる。
直はゴクリとひとつ唾を飲んだ。

「直?」
「か…えらないで…」
「…?」
「帰らないでもらえませんか?もう少しだけ私といてください」
「直…」
「お願いします!」

言ってしまった後、耳まで赤く染めて俯いてしまった彼女が愛しく映った。
秋山は微かな笑みを浮かべると、そのままゆっくりと彼女の背中に腕を廻した。
そして慈しむように優しく直を抱きしめる。
ゆっくりと直を感じながら秋山はささやくように言った。

「いるよ。」
「え」
「ちゃんといるから安心しろ」

予想もしなかった秋山の答えに直は目を見開いた。
するとまた強く抱き寄せられる。
不安も寂しさも何もかもかき消される強い抱擁に直の頭は真っ白になった。

「お前、時折ほんと、小悪魔ですごく…困る」

抱きすくめられている耳元にそんな秋山の呟きが聞こえてきた。
言葉の意味がわからない直はぽかんとした表情で秋山を見つめていた。

「まっ、分かんないならそれでもいいけど。とにかく、俺はちゃんといるからお前は休め」
「…はい」

自分の動揺を悟られる前に秋山は彼女をもう一度ベットへと横たえさせた。
直も今度はそれに従い、身を横にして目を閉じる。
そんな彼女を見て秋山はほっとひとつ息を吐いた。
これ以上触れていると理性が負けそうになる。
そんな自分に秋山は苦笑を浮かべていた。






「あ…きやま…さん…」

月明かりの差す部屋で直はゆっくりと目を開けた。
秋山がいてくれる安心感から自分はすぐに眠りに落ちてしまったらしい。
そんな中、なんだか鼻孔をくすぐる甘い香りが流れてくる。それが直の覚醒を促した。

「なんの匂い??」

目をこすりながらむくりと起き上がる。
すると先程までベットサイドにいてくれたはずの秋山の姿がなかった。

「秋山さん・・・?」

暗がりの中、目をこらすとキッチンの明かりがひとつ灯っているのが見えた。
かちゃかちゃと食器が擦る音が聞こえる。
不思議に思ってみているとマグカップを二つ抱えた秋山がキッチンから出てきた。
亀のように首をのばしている直の様子をみて彼はくすりと笑った。
「起きたのか…。目敏いな、」
「秋山さん、それ。。。」
「勝手にキッチン借りて悪かったが、ほら」
直に向かって一つ差し出されたマグカップから甘くておいしそうな香りが伝わってくる。
先程の匂いの正体はこれだったのだ。わくわくしながら直は秋山に聞いた。
「秋山さん、これって」
「ココア…マシュマロ入り。キッチンに両方揃ってたから好きなのかと思って」
「好きです!!大好きなの〜♪嬉しい!!」
「だろうな…スナック菓子とかも好きだろ?」
「なんで分かるんですか??」
「キッチンに置いてある『直のお菓子貯蔵庫』?中々凄いぞあれ」
「見たんですか!?」
「…見た。というより見えた。なんかお前の源をみたような気がした。」
「秋山さん、ひどいです…」
恥かしさに泣き出しそうな直に向かって含んだ笑いを傾けながら秋山は元いた場所に腰を下ろした。
どうやらコーヒーを入れたらしい彼は落ち着いた様子でマグカップを口へと運ぶ。
直はそんな秋山に寄り添うように隣に座った。

「じゃあ、いただきます」
「どうぞ…」

啜った瞬間、口の中にほどよい甘さが広がる。ココア好きである直にはたまらない一品だった。
「おいしい…」
無意識のうちに漏れた言葉に秋山の表情が緩んだ。
少しでも疲労が取れればと思って作ったものだったがどうやら彼女のお気に召したらしい。
嬉しそうな笑顔を浮かべてココアを飲む彼女を秋山は優しい瞳で見つめていた。

「そうだ、秋山さん、」

思いついたように直が秋山の方を見る。
綺麗な薄茶の瞳がくったくなく秋山をとらえた。

「秋山さんはなんで私のこと好きになってくれたんですか?」

あまりにも唐突な直の質問に秋山は飲んでいたコーヒーを噴出しそうになった。
瞬間的に口元を押さえそれに耐える。
天然だ、天然だと思いつつもここまで酷いと手がつけられない。
秋山は頭を抱えながら一つ溜息を付いた。

「そういうこと…聞くか、普通?」
「え…?秋山さんは聞きませんか?」

即座に返されて秋山は再び頭を抱えた。
素直な彼女に邪心はない。でもそれが問題なのだ。

「聞かない。そんなこと言葉で説明するの、無理だ」
「そうかな?だって秋山さんみたいな人が私なんかをなんで??って思っちゃいますよ。普通」
「それこそ過小評価。お前…ある意味凄いから」
「そうですか??だって私、いつも秋山さんに迷惑かけてるし、全然力になんか慣れてないし
だから秋山さんが好きって伝えてくれた時嬉しかったけど、本当にびっくりしたんです。だから…」
「その自覚の無いとこ、本当に最強。」
秋山はそう言いながら、直の腕を不意に掴んだ。
「でも、そういうお前が好きなんだってこと、いい加減気が付いてくれ」
ぐいと引き寄せられて彼の胸の中へと身体が納まる。
驚いて見上げると真剣な秋山の瞳と目が合った。
鋭い視線に心が射抜かれ、胸が大きく高鳴るのを直は感じていた。

「…俺はお前の傍にずっといたい。それ俺の願いだから忘れないで…、」


もう人なんて信じることも、愛することも出来ないと思っていた。
母が落ちていくのをとめられなかったあの瞬間から
自分の目の前に広がった闇の世界に身を囚われ、そこで生きていくしかなくなってしまった。
そんな世界がお似合いだとも思った。
直に出会うまでは…。
彼女は素直な心と強さで秋山の心に巣食う影を追い払ってくれた。
始終戦いの中に身を置いていた彼にとって初めて安らぎを感じられる存在。
そんな彼女と共にありたいと願うのはいけないことなのだろうか?
欲しいと願うのは、いけないことなのだろうか?

「秋山さん。」

秋山の言葉に瞳を潤ませている直を抱く腕に力を込める。
もしかしたらこうすることが彼女を茨の道へ引き込んでいるのかもしれない。
それを悟りながらも、秋山は直から離れることが出来なかった。
いずれ、別れなければならない時が来たとしても、
今は、今だけは傍にいたい。


そう強く願った。




END
2007.6.16 るきあ


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